前編 晦76夜~陰摩羅鬼(おんもらき)
摩羅鬼(おんもらき、陰魔羅鬼)は、中国や日本の古書にある怪鳥。経典『大蔵経』によれば、新しい死体から生じた気が化けたものとされる。充分な供養を受けていない死体が化けたもので、経文読みを怠っている僧侶のもとに現れるともいう。
古典の画図においては鳥山石燕の画集…
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第六巻の(渚の独り言)後記
コメント
いよいよ90話に到達。ちまちまとやっていて、ふとこれまでに訳したものを振り返ると、たくさんやったなあ!と、我ながら、感心するような量になりました。
次の第七巻で、折り返し地点。あー、でも、まだ半分か。
第六巻の適当訳後記仏教系の、しかも何というか、たい…
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いくばくもせず、皇太子が帝位につかれた。 僧伽多を呼び、ことの次第を問われると、僧伽多は、「そうなると存じていたからこそ、 あのような者はすみやかに追い出されるべしと申し上げていたのです。 この上は、今より帝のご命令を受けて、あの鬼どもを討伐して参ります」 と申し上げた。
「申すままに、何なりと賜るで…
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むかしむかし、元和二年(1616年)のある雨の降る夜、一人の侍が久々利城へと急いでいると、「助けてください。悪人に追われています」と、一人の美しい女の人が駆け寄ってきたのです。(夜だと言うのに、こんなところへ女が一人でいるのは怪しい) そう思った侍は、刀に手を掛けると用心深く腰を落としました。 すると、…
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子どもが、つないであるウマの尻尾の毛を引っこ抜いて遊んでいました。 それを見た男が、子どもに注意をしました。「こらこら、そこの子ども。ウマの尻尾を、抜いてはいかんぞ」「おじちゃん、どうして?」「そいつはな、ちゃんと訳があるんだ」「ふーん。でも抜いたって、どうもないよ」「いいや、ちゃんと訳あるから、抜いてはだ…
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さて二年後。 僧伽多(そうきゃた)の妻であった、あの羅刹の女が、 不意に僧伽多の家へやって来た。
以前見ていたよりも、いっそう麗しく、えも言われぬほど美しくなっており、 しかも僧伽多に語るには、
「あなた様とは前世からの契りがあると存じ、殊に愛おしく思っておりましたところ、 あのように私を捨てて立ち去…
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昔、天竺の国に、僧伽多(そうきゃた)という人がいた。 五百人の商人を乗せて、かねの津という場所を目指していたところ、 急に風が悪くなり、舟は南へ南へと、矢を射るように吹き流されてしまった。
やがて見知らぬ世界へ吹き寄せられ、陸へ近づいたので、 何はともあれ、ありがたいことだと、全員、途惑いつつも舟から下りた。…
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「われ魔界に堕ち、天魔となって人の世を呪わん。人の世の続く限り、人と人を争わせ、その血みどろを、魔界より喜ばん」
凄まじいまでの怨みの言葉を残して、自らこの世を去った崇徳(すとく)上皇。その霊を慰めるお地蔵さまが、左京区聖護院の「積善院準提堂(しゃくぜんいんじゅんていどう)」というお寺に安置されています。
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むかしむかし、京の都のある屋敷(やしき)に、娘がくらしていました。 父と母にかわいがられて育ちましたが、もう、二人とも死んでしまっていません。 娘はお嫁にいくこともなく、屋敷をまもっていましたが、ある時、重い病気にかかって死んでしまいました。 そこで親戚(しんせき)の人たちがお葬式(そうしき)をすること…
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人通りの多いにぎやかなところに、易者(えきしゃ→占い師)が店を出していました。 その前を、今日はどういうわけか、大勢の子どもがこま回しをして遊んでいます。「まったく、いまいましい子どもめ。これでは商売のじゃまだ。どこかよそで遊べばいいのに」 易者が、にが虫をかみつぶした様な顔をして、子どもをにらんでおりますと、…
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黄泉醜女/泉津醜女/予母都志許売【ヨモツシコメ】
黄泉醜女(よもつしこめ)とは、日本神話に登場する黄泉国の魔物のこと。
イザナギが黄泉国から逃走する際に、イザナミに追手として遣わされたとされている。
黄泉醜女は、日本神話の「イザナギの黄泉国訪問神話」に登場する魔物で、イザナギが亡き妻…
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今は昔。 唐土の孔子が、林の中の丘のようになったところで、 ひとときを過していた時のこと。
孔子は琴を弾き、弟子たちは書籍を読んでいたが、 そこへ舟に乗っていた、帽子の老人が、舟を葦につなぎ、岸へあがってきた。
杖をつき、琴のしらべが終るまで聞いていたから、 不思議な人だなと、弟子たちが不審がってい…
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むかしむかし、あるところに、とても仲の良い二人の兄弟がいました。 この兄弟は、顔も性格も食べ物の好みもそっくりです。 ある日の事、二人は一人の女の人を同時に好きになってしまい、その女の人と結婚したいと思いました。 食べ物なら二人で分ける事も出来ますが、女の人ではそうはいきません。 その為に二人の仲はこの…
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貸衣装屋に、坊さんがやって来ました。「ご主人、ちと、赤いけさを貸してもらいたい」と、坊さんが頼むと、主人は、「へいへい、素晴らしく良い色のけさがございますよ。して、どちらへお出かけで」「うむ、明日、雨ごいをするのでな、雨降山(あめふりやま)へ」 それを聞くと、主人は、さっとけさを引っ込め、「雨ごいでは、…
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平安時代末期(12世紀後半)に活躍した女武将として名高い「巴御前」(ともえごぜん)とほぼ同時期に、もうひとり、その勇猛ぶりを称えられた女武将がいます。越後(新潟県)の有力な豪族で、越後平氏とも言われた城氏(じょうし)の姫・「板額御前」(はんがくごぜん)です。
1、板額御前が女武将となった時代背景
板額御前…
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今は昔。 信濃の国に、筑摩(つかま)の湯という、 多くの人が利用する、湯治場があった。
さてあるとき。 湯治場の近くに住む者が、夢うつつに、「明日の昼ごろ、観音様が湯浴みにお越しになる」 とお告げを受けたので、「え、どのようにお越しになるのですか」 と問えば、「年のころ三十ばかりの男性で、黒い口髭を生やし…
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今はタクシーという便利な物がありますが、むかしにそんな物はありません。 でもまあ、「かご」という物が、いまのタクシーの様な物でしょうか。 これは、そんなむかしの話です。
ある男が急用を思い出して、かごに乗りました。「これ、かご屋。急用で急いでいるんだ。金はたくさん出すから、急いでくれ」「へい。では、しっかり…
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むかしむかし、江戸の町に、駄菓子(だがし)をつくって売っている駄菓子屋がありました。 この店では、色々ある駄菓子の中でも、『ねぢがね』と呼ばれる、ねじり菓子が大人気です。 そこでこの駄菓子屋の主人のじんべえは、『ねぢがね屋じんべえ』と呼ばれていました。 このじんべえは、けちでも有名で、もらう物なら馬の食べ残…
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今は昔、比叡山に、とある僧侶がいた。 たいそう貧しかったが、あるとき、鞍馬寺へ七日参りをした。「これで、何か夢のお告げがあるだろう」 と思って参詣していたけれど、それらしい夢を見ないから、 さらに七日、参詣したものの、それでも夢は見ない。 そのためさらに七日、また七日と参籠して百日経った夜の夢に、「我は何にも知らぬ。清水寺へ参れ」 …
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「昭和の日とは」
ゴールデンウィークを構成する祝日のひとつである、4月29日の「昭和の日」(しょうわのひ)は、昭和時代を思うことを趣旨にした祝日です。昭和の日という祝日ができた歴史と由来を解説します。
1、昭和の日はどういう日?
昭和の日は国民の祝日のひとつで、4月29日に設定されて…
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