酒呑童子(伊吹山編)
酒呑童子の伝説に関しては下記の文献が基本のようです。
「大江山絵詞」逸翁美術館蔵。15世紀初 頭南北朝 頃の成立。 通称「香取本」。 香取神宮の 大宮司家に伝わっていたもの。
「酒伝童子絵巻」 サントリー美術館蔵。因幡池田家に伝わっていたもの。 16世紀初頭の成立。
「御伽草子」の「 酒呑童子」。 16世紀末から17世紀初頭の成立。
酒呑童子(伊吹山編)
酒呑童子は若い頃は 伊吹童子という名前でした。彼の父親は伊吹弥三郎といい、ハ俟大蛇(やまたのおろち)を祭る 一族の出身でした。
しかし弥三郎は 変化のもので、伊吹山の山中に住み、夜になると、遠く関東や九州などまで出かけては人家を襲ったりしていました。しかし ある時、近江の国の大野木殿の娘と愛し合うようになり、父親も相手がそのような変化の者とは知らず 結婚を許しました 。
しかし祝言の晩、弥三郎は酒を飲み過ぎ、その正体をあらわしてしまいました。
驚いた大野木殿は弥三郎を斬り捨てました。
しかし娘はその時弥三郎の子供を既に宿していました。その子供は体内に33ヶ月も留まった末生まれました。大野木殿はその子を伊吹山の山頂に捨てました。
捨てられた赤ん坊は最初こそ泣いていましたが、やがて元気に野山を足り回るようになり、
山中の狼や猪なども彼になつき、伊吹童子は山の神様に守護されて成長しました。
伊吹童子は山の中に捨てられたので「捨て童子」であり、それがなまって酒呑童子になったのではないか、という説もあります。(佐竹昭広)。また、ハ俟大蛇が酒をたくさん飲んで素戔嗚尊(すさのおのみこと)に倒されたのと同様、その系統を引く伊吹弥三郎やその子である酒呑童子も酒の飲み過ぎで身を滅ぼしたのではないか、とも言われています。
酒呑童子は酒顛童子·酒天童子·酒伝童子とも書かれます。この名前については上記佐竹説のほか、高橋正明氏は中国の「斉天大聖」(=孫悟空) から来たのではないか、という説を提出しています。
また、酒呑童子の出生に関しては、越後の柏崎の生まれという説もありそちらではこの地に流罪になった桃園親王の家臣が戸隠権現に参拝祈願して授かった子で、元は外道丸といった、ともいいます。外道丸は国上寺で稚児をしていましたが、彼に言い寄る娘が皆死ぬという怪奇がありました。 恐ろしくなった外道丸が死んだ娘達からもらった恋文を燃やすと、その煙の中で 外道丸は鬼の姿に変身してしまったと言います。
なお、伊吹弥三郎については佐々木頼綱という武将が摩利支天の秘宝を使って倒したという伝説もあります。その伝説では倒された弥三郎の怨霊がまた災いをなしたため、井の明神として 祭ると、その地の守護神になったと言われています。
この伊吹弥三郎には実はモデルがいて、 近衛国坂田郡柏原荘の 柏原弥三郎という地頭です。
彼は数々の非道を働いたとして、お上から迫られる身になりますが、政治 2年(1200) に伊吹山に逃げ込んで山中に身を隠しました。これを翌年佐々木信綱が誅した、というのが「吾妻鑑」に記されています。
史実で佐々木信綱が倒したものが伝説では佐々木頼綱になってることについて、 佐竹昭広氏は「 頼綱」が、 大江山鬼退治の源頼綱と同じ「らいこう」 という音になるからではないか、と推察しています。
なお、 源頼光は948年生1021年没ですから、歴史的には大江山の事件の方が先で、 実際問題として 伊吹弥三郎伝説では、弥三郎が酒呑童子の再来として恐れられたというのもあります。再来だったはずが、 いつのまにか 酒呑童子の父として伝説が形成されていったのでしょう。
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