巻一 (18)利仁芋粥の事 (下)


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巻一 (18)利仁芋粥の事 (下)



 

 と、そのうちに表から、誰かが大声で話しているのが聞こえた。
 何だろうと聞き耳を立てると、利仁の家の者のようで、
「この辺の下人ども、よく聞け。
 明日の未明に、切り口3寸、長さ5尺の芋を、各自1本ずつもって来い。
 わかったか!」
 などと怒鳴っている。
 切り口が3寸、つまり十センチで、長さが5尺、1.5メートルほどもある大きな芋。
 そんなものを持って来いと言うなんて、
「大げさに言うにもほどがあるが」
 五位は不思議に思いつつ、やがて寝入った。

 さて、夜明け間近になると、さっそく、庭でむしろを敷く音が聞こえるから、
「何をしようというのか……」
 と呟いた声に、小屋当番がやって来て、窓を開けた。
 すると、庭に長むしろを4枚も5枚も敷き並べているのが見えたから。
「これから何があるのか」
 と見ていると、下男が、木の幹みたいなものを肩に担いで来て、
 そこへ置いて行くのである。
 それに続いて、何人もの男が続いて、同じようなものを運んでくる。

 よく見れば、本当に切り口が3寸くらいにもなる大きな芋を、一本ずつ、
 昼近くになるまで、延々と置いて行くから、
 最後には五位のいる部屋と同じくらいに積まれることになった。

 昨晩叫んでいたのは、至急、周辺の下人たちに連絡する必要があったため、
「人呼びの岡」という、小高いところから叫んだものだったらしい。
 それで、その声が聞こえた範囲中の人間が芋を運んできたため、
 とうとう、こんなに量になったということらしかった。
 それにしても、下人たちの多いこと、多いこと。
 声のした範囲だから、領内には、ほかにももっといるということだ。

 すさまじいことだ……と見ていると、
 家の者が、巨大な五石釜を五つ六つも担いできて、庭に杭を設けて取り付けた。
「何が始るんだ?」
 と見ていると、今度は古めかしい絹の衣装を着た、うら若い乙女たちが、
 真っ白な新しい桶に張った水を、釜へとどんどん入れて行くのだ。
「お湯でも沸かそうというのか」
 だがそれは水ではなく、どうやら甘い甘い煮汁である。

 そこへさらに、薄刃の刀を手に手に、十数人もの若い衆がわらわらやって来て、
 芋という芋の皮を剥き、ざくざく切って行くから、
「あ、芋粥を煮ているんだ」
 と気づいたが、見ているだけでおなかいっぱいになって、
 もはや食欲も失せて、何だか気持悪くなってきた。

 やがて、ぐつぐつと煮えてきた頃に、
「旦那様――芋粥ができました」
 と下男が言うから、
「よし、五位さんに差し上げろ」
 利仁が言うと、まずは巨大などんぶり土器が運ばれてきて、
 1斗も入りそうな大鍋に移した芋粥を、三つも四つも目の前に置いて、
「さあ、まずは軽く一口」
 と言われるが、もうゲッソリしてしまい、一盛りさえ食べることはできない。

「済みません、もう飽きました……」
 と言えば、みんな大いに笑いながら集まってきて、
「お客人のおかげで、芋粥が食えますぞ」
 と、話し合っていた。

 そのうちに、向いの長屋の軒先から、狐が一匹、
 こちらを覗いているのに利仁が気づいて、
「あそこを見ろ。お使いの狐が出てきた――あいつにも食わせてやれ」
 と言い、食わせてみるとちゃんと食べた。

 こういうわけで、物持ちにというのも馬鹿らしくなるほどの大富豪のもとに、
 一ヶ月ばかりも滞在して、都へ戻った時には、
 五位は、普段着から晴れの衣装までたくさん持ち帰り、
 ほかに普通の反物、八丈絹、綿糸、絹糸その他、皮籠へどっさり入れて、
 もちろん例の夜具も、鞍を置いた馬ごと、持ち帰らせたのだった。

 貧乏人とはいえ、長年勤め上げて評価されている人物は、
 こうしてくれる人間が、自然と現れるものなのだ。




原文

かかる程に、物高くいふ声す。何事ぞと聞けば、をのこの叫びていふやう、「この辺の下人承れ。明日の卯の時に、切口(きりくち)三寸、長さ五尺の芋、おのおの一筋づつ持て参れ」といふなりけり。「あさましうおほのかにもいふものかな」と聞きて、寝入りぬ。
暁方(あかつきかた)に聞けば、庭に筵敷く音のするを、「何わざするにかあらん」と聞くに、小屋当番より始めて起き立ちてゐたる程に、蔀(しとみ)あけ たるに見れば長筵(ながむしろ)をぞ四五枚敷きたる。「何の料(れう)にかあらん」と見る程に、下種男(けすをとこ)の、木のやうなる物肩にうち掛けて来 て一筋置きて往ぬ。その後うち続き持て来つつ置くを見れば、まことに口三寸ばかりなるを、一筋づつ持て来て置くとすれど、巳の時まで置きければ、ゐたる屋 と等しく置きなしつ。夜部叫びしは、はやうその辺にある下人の限りに物いひ聞かすとて、人呼びの岡とてある塚の上にていふなり。ただその声の及ぶ限りのめ ぐりの下人の限り持て来るにだにさばかり多かり。まして立ち退きたる従者どもの多さを思ひやるべし。あさましと見たる程に、五石なはの釜を五つ六つ担き持 て来て、庭に杭ども打ちて据ゑ渡したり。「何の料(れう)ぞ」と見る程に、しほぎぬの襖(あを)といふもの着て帯して、若やかにきたなげなき女どもの、白 く新しき桶の水を入れて、この釜どもにさくさくと入る。「何ぞ、湯沸かすか」と見れば、この水と見るはみせんなりれり。若きをのこどもの、袂より手出した る、薄らかなる刀の長やかなる持たるが、十余人ばかり出て来て、この芋をむきつつ透(す)き切りに切れば、「はやく芋粥煮るなりけり」と見るに、食ふべき 心地もせず、かへりては疎ましくなりにけり。
さらさらとかへらかして、「芋粥出でまうで来にたり」といふ。「参らせよ」とて、まづ大きなる土器(かはらけ)具して、金の提(ひさげ)の一斗(とう) ばかり入りぬべきに三つ四つに入れて、「かつひとつ」とて持て来るに、飽きて一盛りをだにえ食はず。「飽きにたり」といへば、いみじう笑ひて集まりゐて 「客人(まらうど)殿の御徳に芋粥食ひつ」と言ひ合へり。かやうにする程に、向かひの長屋の軒に狐のさし覗きてゐたるを利仁見つけて、「かれ御覧ぜよ。候 ひし狐の見参するを」とて、「かれに物食はせよ」といひければ食はするにうち食ひてけり。
かくて万の事、たのもしといへばおろかなり。一月ばかりありて上けるに、けをさめの装束どもあまたくだり、またただの八丈、綿、絹など皮籠(かはご)どもに入れて取らせ、初めの夜の宿衣(とのゐ)ものはた更なり。馬に鞍置きながら取らせてこそ送りけれ。
きう者なれども、所につけて年比(としごろ)になりて許されたる者は、さる者のおのづからあるなりけり。



(渚の独り言)

芥川龍之介「芋粥」とだいぶ違いますね。
これで、宇治拾遺の第一巻はおしまい。
でも最後に来るのがそうとう長いので、ここで断念したくなります(ちゃんと続きますよ!)。
あと、最後の一文を読み返して、物語の前半をちょっと修正しました。

藤原利仁:
延喜15年(915年)に、下野国高蔵山で貢調を略奪した群盗数千を鎮圧するなど、平安時代の代表的な武人として伝説化され多くの説話が残された、らしいですよ。
ついでに、越前国敦賀の豪族藤原有仁の娘婿で、母も越前国出身。
越前へ養子に入ったということかしら。義父の名前を継いでますし。 




See You Again  by-nagisa

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