巻三 (46)伏見修理大夫・俊綱の事
これも今は昔。
伏見修理大夫・俊綱は、宇治大納言・頼通さまの息子だったが、
大納言さまにたくさんの子供がいたため、養い親を替えられて、
橘俊遠という人の子供となった。
そして蔵人の役に就き、15歳で尾張の国司に任じられた。
さて、その俊綱が任地の尾張の国へ向ったときのこと。
当時の熱田神宮の神様はたいへん霊威が強く、
神前で笠も脱がず、馬の鼻を向けるなどの非礼を働く者に対して、
たちどころに神罰を下していた。
だから、それに仕える大宮司の威勢も、国司に勝るほどで、
国中の人が恐れているような状況だった。
そこへ、俊綱が国守として下ってきた。
所信表明などを行う場が設けられたが、
熱田の大宮司は、別に自分には関係無いとばかりに、参上しなかった。
これを、俊綱はきびしく咎めた。
「いくら大宮司とはいえ、新たに国司が参ったのに、どうして参らぬ」
と言えば、
「前例がございません」
などと言って、いつまでも出て来ないので、
「国司も国司による。わしに対してそんなことを申すのか」
と、俊綱はいよいよ腹を立てた。
「大宮司が領するところを没収せよ」
ときびしい命令を出したところ、さすがに、大宮司に告げる人があって、
「国司にもあのような方がいます。ここは参上なされませ」
「それならば」
と、大宮司は衣冠を身につけ、立派な着物を身につけると、
供も30人ばかり、ぞろぞろと引き連れて、俊綱のもとへやって来た。
俊綱は、対面するや部下を呼び、
「この者を捕らえ、罰せよ。
神官でありながら国中の者から忌まれ、怪しからぬ振舞を為す者である」
と、あっという間に召し捕らえ、湯舟へ押し込めて罰してしまった。
大宮司は、
「何と無体な奴ばらだ――熱田の神様はおわさぬのか。
下人どもが無礼を為せば、たちどころに神罰をくだされるあなた様が、
今この大宮司がこのような目に遭わされているというのに、何も為さらないのですか」
と泣く泣く訴えていると、
そのうち、まどろみの中で見た夢に、熱田の神様が現れた。
「今回の件は、わしの力の及ばぬことである。
何故と申すに、昔この尾張に、こんな僧侶がおったであろう――。
その僧は、1千部の法華経を読むことでわしに法楽を与えようとしていたが、
百部あまり読み進んだころには、もう、この国の者みなが尊ぶようになり、
多くの者が帰依するに至った。
そしておまえはこれを不満に思い、悪心を起こしてこの僧を追放してしまった。
追放された僧侶は、おまえの仕打ちを激しく恨み、
『やがてこの国の国司となり、報いを受けさせてやる』
と誓った。
そして生まれ変り、とうとう、今の国司になって戻ってきたのだ。
ゆえに、わしの力は及ばぬ。
その僧の名は俊綱といい、今の国守もまた、俊綱と言うであろう」
……と、そんなふうに、夢の中で告げたのだという。
悪心は良くないことである。
原文
臥見修理大夫俊綱事
これも今は昔、伏見修理大夫は宇治殿の御子にておはす。あまり公達多くおはしければ、やうを変へて橘俊遠(たちばなのとしとほ)といふ人の 子になし申して、蔵人になして、十五にて尾張守になし給ひてけり。それに尾張に下りて国行ひけるに、その比(ころ) 熱田神いちはやくおはしまして、おのづから笠も脱がず、馬の鼻を向け、無礼をいたす者をば、やがてたち所に罰せさせお はしましければ、大宮寺の威勢、国司にもまさりて、国の者どもおぢ恐れたりけり。
そこに国司下りて国の沙汰どもあるに、大宮司、我はと思ひてゐたるを国司咎めて、「いかに大宮司ならんからに、国にはらまれて は見参にも参らぬるぞ」といふに、「さきざきる事なし」とてゐたりければ、国司むつかりて、「国司も国司にこそよれ。我らにあひてかうはいふぞ」とて、いやみ思ひて、「しらん所ども点ぜよ」などいふ時に、人ありて大宮司にいふ。「まことにも国司と申すにかかる人おはす。見参に参らせ給へ」といふければ、「さらば」といひて、衣冠に衣出して、供の者ども三十人ばかり具して国司のがり向ひぬ。国司出であひて対面して、人どもを呼びて、「きやつ、たしかに召し籠めて勘当せよ。神官といはんからに、国中にはらまれて、いかに奇怪をばいたす」とて、召したててゆぶねに籠めて勘当す。
その時、大宮司、「心憂き事に候ふ。御神はおはしまざむか。下臈の無礼をいたすだにたち所に罰させおはしますに、大宮司をかくせさせて御覧ずるは」と、泣く泣くくどきてまどろみたる夢に、熱田の仰せせらるるやう、「この事におきては我が力及ばぬなり。その故は僧ありき。法華経を千部読みて我に法楽せんとせしに、百余部は読み奉りたりき。国の物ども貴がりて、この僧に帰依しあひたりしを、汝むつかしがりて、その僧を追ひ払ひてき。それにこの僧悪心を起こして、『我この国の守になりて、この答をせん』とて生れ来て、今国司になりてければ、我が力及ばず。その先生(せんじやう)の僧を俊綱といひしに、この国司も俊綱(としつな)といふなり」と、夢に仰せありけり。人の悪心はよしなき事なりと。
(渚の独り言)
地震、みなさんは大丈夫でしたか?
しゅんこう坊と、としつなさん。
ところで、湯舟に押し込めて罰するのですか――と思って、
「湯舟 押し込め 罰」と検索したら、不気味なエロ小説がたくさん引っかかりました。
橘俊綱:
たちばなのとしつな。摂政・関白を務めた藤原頼通の次男として生まれるが、頼通の正室・隆姫女王の嫉妬心のために、橘俊遠の養子とされた――らしいです。
歌詠みでも有名みたいですが、日本最古の庭園書の著者だとされるくらい、造園方面でも名高いようです。
熱田神宮:
名古屋にあって、大きな大きな神社です。
草薙の剣があるので、そりゃ宮司も強いですね。
See You Again by_nagisa
この記事へのコメント