巻三 (49)小野篁、広才の事


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 今は昔、小野篁(かたむら)という人がいた。
 嵯峨天皇の時代のある日、内裏に札が立って、そこに、
『無悪善』
 と書いてある。

 嵯峨天皇は、篁を呼び、
「読め」
 と仰せになったが、
「読むことは読めますが、恐れ多く、申し上げることはできません」
「とにかく申せ」
 と、帝が何度も仰せになるので、
「――さが無くて善からん。と書かれています。
 すなわち我が君を呪い参らせた文言でございます」
 と申し上げた。

「おまえ以外の誰が、こんなものを書くのだ」
 と帝がさらに仰せになると、
「それゆえ、申し上げることはできませぬとお答えしましたのに」
 そう答えた。

 帝は、
「ところでその方は、書いてあるものはみな読むことはできるな」
 と仰せになる。
「何でも読むことができます」
 と、篁が申し上げると、帝は、片仮名で「子(ね)」の字を12回お書きになり、
「読んでみよ」
 と仰せになる。

 篁が、
「ねこの子のこねこ、ししの子のこじし」
 そう読み上げると、帝は微笑みになり、お咎めにはならなかったという。




原文
小野篁、広才の事

今は昔、小野篁(おののたかむら)といふ人おはしけり。嵯峨帝の御時に、内裏に札を立てたりけるに、「無悪善」と書きたりけり。帝、篁に、「読め」と仰せられたりければ、「読みは読み候ひなん」されど恐れにて候へば、え申し候はじ」と奏しければ、「ただ申せ」とたびたび仰せられければ、「さがなくてよからんと申して候ふぞ。されば君を呪ひ参らせて候ふなり」と申しければ、「おのれ放ちては誰か書かん」と仰せられければ、「さればこそ、申し候はじとは申して候うひつれ」と申すに、御門、「さて何も書きたらん物は読みてんや」と仰せられければ、「何にても、読み候ひなん」と申しければ、片仮名の子文字(ねもじ)を十二書かせて給ひて、「読め」と仰せられければ、「ねこの子のこねこ、ししの子のこじし」と読みたりければ、御門ほほゑませ給ひて、事なくてやみにけり。



(渚の独り言)

よくわかりませんね。
※解説を入れ込んだ、わかりやすい訳にはしませんでした。

小野篁:
おののたかむら。小野妹子の子孫で、毎晩、井戸を通って閻魔大王のお手伝いをしていたという、おかしな貴族です。身長180センチ以上の巨漢。
遣唐使の副代表に任じられますが、病気だと称して乗船拒否。さらに「西道謡」という朝廷を批判する詩を作って、官位剥奪、隠岐への配流。後に許されてますが、とりあえず口の減らない人っぽいので、「無悪善」は本当に篁が書いたのだと思われます。
けれど才人ですし、どこか憎めない人なのですねえ。

無悪善:
「悪」を、「さが」と読むのです。
「さが=性質」を辞書で引くと、
>3 よいところと悪いところ。特に、欠点や短所。
と出ます。

片仮名の子(ね)文字を十二:
子子子子子子子子子子子子。
十二支で今でも使う「ね」、それから子供の「こ」、弟子の「し」。適当に「の」を補って、「ねこ子こねこ、しし子こしし」と読んだわけですね。
と言われても、うん、それで……とか思ってしまいます。




See You Again  by_nagisa

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