巻三 (50)平貞文、本院侍従の事(前)


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 今は昔。
 兵衛佐・貞文のことを、平中(へいちゅう)と言った。

 きわめて女好きで、宮中の女性はもちろん、人の娘という娘で、
 忍んでみない相手は無いというほど。
 さらには思いを込めた手紙を送られて、心を許さない女性など無いというほどだった。

 さて、本院侍従という女性は、村上天皇の御母后にお仕えしていた。
 思い慕ってくる男も多く、届いた文には必ず返事をする一方、
 実際に会うことまではしない女性だった。

 そういうわけで、平中。
「しばらくは無理でも、ずっと思い続けていれば、いつかは直接会ってもらえるだろう」
 と思い決め、感傷的な夕暮や、明るい月夜など、
 自分の姿が色っぽく映える時分を選んで、
 御母后のもとを出入りするうちに、やがて女の方も平中を見知って、
 良い感じに文のやりとりをする仲にまでなった。

 けれどやはり一線を越えることは許されず、
 といって情愛を欠いた返事が来るわけでもなく、
 ほかの人がいるような、気楽な場所では直に口をきいてくれもしたが、
 どうしても、二人きりで一夜を過ごすことは許されなかった。
 天下の色男・平中が、いつも以上に足繁く訪れて、
「お部屋へ」
 と申し出てみても、そこはどうしても、色よい返事をもらうことはできないのだった。

 そうして、四月の末になった。
 その夜は、雨がおどろおどろしく降る、もの恐ろしいような天候だったから、
「この天候を押して行けば、今度こそ私を受け入れてもらえるはずだ」
 と思い、平中、いそいそと出かけて行った。

 道すがら、たまらないほどの雨に、
「よし。この中で行ったら、よもや会わずに追い返すなんてことはないぞ」
 と心強く思い、とうとう本院侍従のもとへ到着すると、
 やがてお付きの女が出てきて、
「上の方でございますので、お入りください」
 と、屋敷の隅へ通して、立ち去った。

 後ろを見ればほのかに火が灯り、
 宿直用か、薫き物をした着物から匂いが立って、
 えもいわれぬ雰囲気。
 心憎いほどの演出に、ますます思いが募ってくるうちに、
「只今、主人が参ります」
 と言ってくるので、うれしさは限りない。

【つづき】


原文
平貞文、本院侍従事

今は昔、兵衛佐(ひやうゑのすけ)貞文をば平中(へいちゆう)といふ。色好みにて、宮仕人(みやづかへびと)はさらなり、人の女など、忍びて見ぬはなかりけり。思ひかけて文やる程の人の、なびかぬはなかりけるに、本院寺従といふは村上の御母后の女房なり。世の色好みにてありけるに、文やるに、僧からず返事はしながら、逢ふ事はなかりけり。「しばしこそあらめ、遂にはさりとも」と思ひて、物のあはれなる夕暮の空、また月の明き夜など、艶に人の目とどめつべき程を計らひつつおとづれければ、女も見知りて、情は交わしながら心をば許さず、つれなくて、はしたなからぬ程にいらへつつ、人ゐまじり、苦しかるまじき所にては物いひなどはしながら、めでたくのがれつつ心もとなくて、常よりも繁くおとづれて、「参らん」といひおこせたりけるに、例のはしたなからずいらへたれば、四月の晦ごろに、雨おどろおどろしく降りて物恐ろしげなるに、「かかる折に行きたらばこそあはれとも思はめ」と思ひて出でぬ。
道すがら堪へがたき雨を、「これに行きたらに逢はで帰す事よも」と頼もしく思ひて、局に行きたれば、人出で来て、「上なれば、案内申さん」とて、端の方に入れて往ぬ。見れば、物の後ろに火ほのかにともして、宿直物とおぼしき衣、伏籠にかけて薫物しめたる匂ひ、なべてならず。いとど心にくくて、身にしみていみじと思ふに、人帰りて、「只今もおりさせ給ふ」といふ。うれしさ限りなし。



(渚の独り言)

いよいよ、そしてようやく50話です。
有名な平中のヘンタイ話。つづきますー。

平中、平貞文:
へいちゅう。たいらのさだふみ、さだふん。
桓武天皇の玄孫にあたり、中古三十六歌仙の一人、だそうです。皇族方面の人なので、優雅なんですね。
「平中物語」というのがあるようです。

本院侍従:
検索したら、平安時代の歌人。家系不詳。名は、最初に出仕した本院の女御に由来(本院左大臣藤原時平の娘仁善子であろうか)。(中略)なお、平中説話に登場する本院侍従とは別人。
……と出ました。
要するに、このお話に出てくるのは、村上天皇の御母后にお仕えする女房、という程度にしか分りません。

村上の御母后:
日本史上初の関白になった、藤原基経の娘、穏子。
朱雀天皇、村上天皇を生み、藤原摂関政治を盤石にしました。
そういうすごい方にお仕えしている女房(一人住みの部屋を与えられた者)なので、簡単には口説き落とせません。





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