巻四 (55)薬師寺別当のこと


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 今は昔、薬師寺に、とある別当僧都がいた。
 寺を統括する別当という地位にあったものの、寺のものを着服することもなく、
 ただ極楽に生れ変ることだけを願うような人だった。

 さてこの別当。
 年老いて病にかかり、
 死を目前にした念仏も唱え終り、もはや消え入ろうとした時。

 まさに死なんとしていたところで、急に具合が良くなって、
 弟子を呼び寄せて言うには、
「見てのとおり、念仏を他念なく申しておると、
 極楽への迎えは来ずに、地獄へ連れ行く火の車がやって来た。
 何の罪で地獄への迎えが来たか、とわしが口にすると、
 火車に従っていた鬼どもは、
『この寺のものを去年、五斗ばかりも借りて、未だ返しておらんでしょう。
 その罪で、我らが地獄へのお迎えに参ったのですよ』
 などと申すゆえ、
『そんな罪では地獄に落ちるものか。それを返したら良いのだろう』
 と文句を言ってやったのだが、
 火車は去らずに軒端で待っておる。
 ゆえに弟子ども、五斗の倍、一石分の読経をしてくれ」

 そんなことを言うものだから、弟子たちは戸惑いながらも、言われるまま読経する。
 と、遠くからの鐘の音が聞こえるうちに、火車は帰って行った様子。
 さて僧都は、
「火の車は帰り、極楽へのお迎えが、今お越しになったよ」
 と、手をすりあわせて喜び、息を引き取ったのである。

 僧都のいた坊舎は、薬師寺大門の北の脇にあって、今もそのままに残っている。

 五斗ばかりの米を着服しただけなのに、僧都のもとへ火の車が迎えに来た。
 まして、寺の宝物を己の欲望のままに使い込んでいるような諸寺の別当どもの、
 地獄への迎えはどのようなものかと、思いやられるではないか。




原文
薬師寺別富事

今は昔、薬師寺の別富僧都といふ人ありけり。別富はしけれども、ことに寺の物もつかはで、極楽に生まれんことをなん願ひける。年老、やまひして、しぬるきざみになりて、念佛して消え入らんとす。無下にかぎりと見ゆるほどに、よろしうなりて、弟子を呼びていやふう、「見るやうに、念佛は他念なく申てむれば、極楽の迎へは見えずして、火の車を寄す。「こはなんぞ。かくは思はず。なんの罪によりて、地獄の迎はむきたるぞ」といひつれば、車につきたる鬼共のいふ様、「此てらの物を一年(ひととせ)、五斗かりて、いまだかへさねば、その罪によりて、此むかへは得たる也」といひつれば、我いひつるは、「さばかりの罪にては、地獄におつべきやうなし。その物を返してん」といへば、火車(ひのくるま)をよせて待つなり。されば、とくとく一石誦経にせよ」といひければ、弟子ども、手まどひをして、いふままに誦経にしつ。その鐘のこゑのする折、火車(ひのくるま)かへりぬ。さて、とばかりありて、「火の車はかへりて、極楽のむかへ、今なんおはする」と、手をすり悦つつ、終りにけり。
その坊は、薬師寺の大門の北のわきにある坊なり。いまにそのかた、失せずしてあり。さばかり程の物つかひたるにだに、火車(ひのくるま)迎へにきたる。まして、寺物を心のままにつかひたる諸寺の別富の、地獄のむかへ(ひ)こそ思ひやらるれ。



(渚の独り言)

虚実入り乱れた感じが、なかなか素敵です。

薬師寺:
世界遺産・国宝、奈良の薬師寺ですね。

別当僧都:
固有名詞じゃありません。
別当……お寺を統括する人。今だと、管主さまくらい。
僧都……僧正に次ぐ地位の、偉いお坊さんのこと。

火車:
ひのくるま。かしゃ。悪い亡者を地獄へ運ぶ、火のついた車です。






  See You Again  by-nagisa

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