巻四 (59)三川の入道、遁世の事(後)


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 そうして、入道の御前で、生きながら雉子の羽をむしらせた。

 雉子が暴れるところを押さえつけ、ただむしりにむしり続ければ、
 雉子は目から血の涙を垂らし、さかんに瞬きしながら、
 こちらあちらへ救いの目を向けるから、
 さすがに耐え難く、中座する者も出る始末だが、
「これぞまさに鳥の鳴き声」
 などと興じ笑い、なおむしり続けるのだった。

 そして羽をむしり終えると、いよいよ卸して行く。
 刀に従い、血がつぶつぶと出てくるのを、拭い拭いしながら卸して行くうちに、
 あさましく、もはや堪えきれぬという鳴き声を上げて、雉子は死んだ。

 雉子を卸し終えると、
「炒り焼きにして賞味しようぞ」
 と、みんなで食べ始めて、
「いや、絶品だ。死んだものを卸して炒り焼きにしたものと較べれば、格段に勝る」
 などと言い合っている。

 これを三河入道はつくづくと見聞きするうちに、
 涙を流し、声を立てて喚きはじめたから、
「うまいうまい」と言っていた者たちも、変な感じになってしまった。

 入道はその日のうちに国府を出て京へ戻り、法師になった。
 道心を起こし、出家の心をよくよく固めようと、
 あるとき、こんな稀有なことを行ったという。

 乞食ということをしていた折、
 ある家で、食べ物を、と少しも言わないうちに、
 庭に畳を敷き、そこで食べさせようと言うので、
 ありがたく食べようとしたところで、
 簾を巻き上げた内側に、うるわしい装束の女が座っているので、
 見れば昔、彼が追い出した妻であった。

「そこな物乞いの、そんなざまになったのを見ようと思ったのじゃ」
 と言い、蔑んでかかるのを、別に恥ずかしいとも見苦しいとも思わず、
「尊い御恵みかな」
 と言い、与えられたものをゆっくり食べて、出て行ったという。

 有り難き心である。
 道心を堅く起こせば、こんな目に遭っても苦しいと思うことはないのだろう。




原文
三川の入道遁世の事(つづき)

かくて前にて、生けながら毛をむしらせければ、しばしは、ふたふたとするを、おさへて、たゞむしりにむしりければ、鳥の、目より血の涙をたれて、目をしばたゝきて、これかれに見あはせけるをみて、え堪へずして、立て退くものもありけり。「これがかく鳴事」と、興じわらひて、いとゞなさけなげにむしるものもあり。むしりはてて、おろさせければ、刀にしたがひて、血のつぶつぶといできけるを、のごひのごひおろしければ、あさましく堪へがたげなる声をいだして、死はてければ、おろしはてて、「いりやきなどして心みよ」とて、人々心みさせければ、「ことの外に侍けり。死したるおろして、いりやきしたるには、これはまさりたり」などいひけるを、つくづくと見聞きて、涙をながして、声をたててをめきけるに、「うましき」といひけるものども、したくたがひにけり。さて、やがてその日國府をいでて、京にのぼりて法師になりにける。道心のおこりければ、よく心をかためんとて、かゝる希有の事をしてみける也。乞食といふ事しけるに、ある家に、食物えもいはずして、庭にたゝみをしきて、物を食はせければ、このたゝみにゐて食はんとしける程に、簾を巻上たりける内に、よき装束きたる女のゐたるを見ければ、我さりにしふるき妻なりけり。「あのかたゐ、かくてあらんを見んとおもひしぞ」といひて、見あはせたりけるを、はづかしとも、苦しとも思ひたるけしきもなくて、「あな貴と」といひて、物よくうち食ひて、かへりにけり。
有がたき心なりかし。道心をかたくおこしてければ、さる事にあひたるも、くるしとも思はざりけるなり。



(渚の独り言)

バランスの悪い書きぶりのような気もしますが、最後、もとの妻から徹底的に罵られ、辱められるバージョンもあります(今昔物語、今鏡)。
そこでは、「この辱められた徳により、必ず仏心を得られるであろう」と、手をすりあわせて喜んだ――というふうに結ばれます。
そちらの方が、分りやすいですね。




See You Again  by-nagisa

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