巻四 (60)進命婦、清水寺へ参る事
今は昔、進命婦(しんみょうぶ)が、まだ若い頃のこと。
命婦はいつも清水寺へ参詣していたが、
その清水寺の説教僧は、実に清浄な人であった。
八十歳にもなろうというのに、女を知らず、
法華経を八万四千余も読み奉った高僧であったが、
あるとき、進命婦を見るや欲情し、たちまちに恋にかかって、
今にも死にそうになってしまった。
弟子たちが怪しみ、どうしたのかと、
「御師の病のありさま、このままにしてはおけませぬ。
何か御存念がございますか。
仰せにならないのであれば、仕方もありませぬが」
そう申しあげると、この時になって語り出したことには、
「実は、京市中よりこの御堂へ参られる女性と親しくなり、
何事か言葉を交わせたらと思い始めてよりこの三年、
食べることの出来ぬ病へかかり、
今や私は地獄の蛇道へ落ちようとしている。情けないことだ」
と答えた。
すぐさま弟子の一人が進命婦のもとへ駆けつけ、この旨を伝えると、
進命婦はほどなくやって来たが、すでに老僧は鬼のような形相。
けれども進命婦は恐れる様子も見せず、
「年ごろお世話になり、頼りにしておりましたからには、
何事であろうとも、お話しくださればよろしかったのに」
そう言えば、老僧は周りに支えられて辛うじて起き上がり、
念珠をとり、強く揉みながら、
「よくこそ、お越しくだされました。
わたくしが八万余部、読み続けた法華経のうちもっともすばらしい一文を、
御前様に奉ります――俗人であれば、関白、摂政を生ませたまえ。
女を生ませたまわるなら女御、后を。僧侶であれば、法務の大僧正を
――どうか、生ませたまえ」
言い終るや、そのまま息絶えた。
その後、進命婦は宇治殿に思いをかけられ、
はたして、京極大殿、四条宮、さらに三井の覚園座主を生むことになったという。
原文
進命婦清水寺参事
今は昔、進命婦若かりける時、常に清水へ参りける間、師の僧きよかりけり。八十のもの也。法華經を八萬四千餘読奉りたる者也。此女房をみて、欲心をおこして、たちまちにやまひに成て、すでに死なんとするあひだ、弟子どもあやしみをなして、問ていはく、「このやまひのありさま、うち任せたることにあらず。おぼしめすことあるか。仰られずはよしなき事也」といふ。この時、かたりていはく、「誠は、京より御堂へ参らるゝ女に、近づきなりて、物を申さばやとおもひしより、此三か年、不食のやまひなりて、今はすでに蛇道におちなんずる、心うきことなり」といふ。
こゝに弟子一人、進命婦のもとへ行て、このことをいふ時に、女、程なくきをたてたるやうにて、鬼のごとし。されども、此女、おそるゝけしきなくして、いふやう、「とし比たのみてまつる心ざし淺からず。何事にさぶらうとも、などか、おほせられざりし」といふときに、この僧、かきおこされて、念珠をとりて、押しもみてやう、「うれしくきたらせたらせ給たり。八萬餘部よみ奉りたる法華經の最第一の文をば、御前に奉る。欲をうませ給はば、關白、攝政をうませ給へ。女をおませ給はば、女御、后を生せ給へ。僧をうませ給はば、法務の大僧正を生せ給へ」といひ終りて、すなはち死ぬ。
其後、女、宇治殿に思はれ参らせて、はたして、京極大殿、四條宮、三井の覺園座主をうみ奉れりとぞ。
(渚の独り言)
原文、老僧の言葉がたいへん良い感じでした。
「うれしくきたらせ給いたり」
感動を最初に、婉曲表現、敬語表現で、老僧の喜びと執念がよく出てるなあと。
進命婦の夫とその子供:
宇治殿は関白頼通。また進命婦の京極大殿は藤原師実で摂政・関白。四条宮は後冷泉天皇の女御、覚園(円)は三井寺の座主……だそうです。
進命婦:
ということで、師実の母、藤原祇子だとwikipediaに出てきました。
師実は六男なので、本当なら関白の座なんて絶対に無理だったのですが、
嫡男と正室への配慮から、上の子が軒並み養子に出されていたところで、嫡男が急死、棚ぼた式に、残った息子の師実さんが関白になった模様。
wikipedia によると――藤原祇子は出生がはっきりせず、藤原頼成女とも具平親王女とも言われる。
命婦:
みょうぶ。律令制で、五位以上の女官、また五位以上の官人の妻の称。平安中期以降、中級の女官などの称になる――と出ます。
「進」は、検索しても分らなかったのですが、親の地位ですかねえ? (かみ-すけ-じょう-さかん、のうちの「じょう(進)」)
蛇道:
じゃどう。生前執念が強い人は、蛇地獄へ落ちたり、蛇に生れ変わったりするようです。
See You Again by-nagisa
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