巻五 (70)四宮河原地蔵の事


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 これも今は昔。
 山科のとある道ばた、四の宮河原というところに、
「袖くらべ」という、商人の多く集まる場所があった。

 そこに住む、とある下人が地蔵菩薩をつくったが、
 開眼供養まではせず、櫃に入れたまま、
 自分の家の奥の間へしまい込んでしまった。
 そうして、日々の営みに紛れてしばらく経つうちに忘れてしまい、
 さらに三四年ほどが経った。

 ある夜。
 夢の中で、大路を通り過ぎる者が、声高に人を呼んでいる声がするので、
「何ごとだろう」
 と聞いていると、
「地蔵さまや。地蔵さまや」
 と、声高く、家の前で呼んでいる。
 そして家の中からは、
「何事か」
 と答える声がする。

「明日、帝釈天が地蔵会を開催されますので、お越しになりませんか」
 と言うと、家の中の声は、
「参ろうと思うが、まだ目も開かぬゆえ、参ることができぬ」
 そう答えるが、
「構えて、お越しになりますよう」
「目も見えぬ身では、どうして参れようか」
 という。

 下人、吃驚して飛び起きると、
「どうしてこんな夢を見たのか」
 と思いを巡らし、不思議に感じていた。
 そして朝になり、奥の間をよくよく見ているうちに、
 例の地蔵をしまい込んでいたことを思い出し、これを見つけることができた。
「これが夢に見えたのか」
 と驚き、それから急いで開眼供養をしたという。




原文四宮河原地蔵の事
これも今は昔、山斗の道づらに、四宮河原といふ所にて、神くらべといふ、商人あつまる所あり。その辺に下種のありける。地蔵菩薩を一体つくりてたてまつたりけるを、開眼もせで、櫃にうち入て、奥の部屋などおぼしき所におさめ置きて、世のいとなみにまぎれて、程へにければ、忘にけるほどに、三四年斗(ばかり)過にけり。
ある夜、夢に、大路をすぐるものの、声高に人をよぶ声のしければ、「何事ぞ」ときけば、「地蔵こそ、地蔵こそ」と高く、この家の前にて言ふなれば、奥のかたより、「何事ぞ」といらふる声す也。「明日、天帝尺の地蔵会したまふには参らせ給はねか」といへば、此小家の内より、「参らんと思へど、まだ目もあかねば、え参るまじきなり」といへば、「構て、参り給へ」といへば、「目も見えねば、いかでか参らん」といふ声す也。
うちおどろきて、「なにのかくは夢に見えつるにか」と思ひまはすに、あやしくて、夜明けて、おくのかたをよくよく見れば、此地蔵をおさめて置きたてまつりたりけるを思出でて、見いだしたりけり。「これが見え給にこそ」とおどろき思ひて、いそぎ開眼したてまつりけりとなん。



(渚の独り言)

深層記憶とか、心理学的な解説がくっつきそうな話ですね。
第五巻の始まりですー。

山斗の道づら、四宮河原
山科の路傍、四宮河原(しのみやかわら)。
京都市山科区を南流する四宮川と東西に走る東海道が交差するあたりに広がっていた河原。交通の要所で,平安時代末期には市が立ち、地蔵が祀られていた――らしいです。

袖くらべ
コピペ元は「神くらべ」としてありましたが、見間違えでしょう。
商人が値段を決める際、お客と袖を重ねて、互いの袖の中で、ゴチョゴチョと値段交渉をすることみたいです。
今でもどこかの市場でこれをやっていると、TVで見たような気がします。

帝釈天:
たいしゃくてん。
仏法の二大守護神の一で、須弥山の頂上にあたる忉利天(とうりてん)に住まわれてるそうです。

地蔵:
釈迦が過ぎ、弥勒出るまでの間、衆生を救って下さいます。
帝釈天の住む、忉利天出身みたいですよ。

地蔵こそ、地蔵こそ
「こそ」は、この場合、呼びかけに使ってるだけの言葉みたいです。
今でいう、「殿」とか「さん」とか、そんな感じとか。
でも、こういう日常語が、もっとも訳しにくいのです。。。

地蔵会:
じぞうえ。地蔵祭、地蔵盆とも。
今でも各地方、色んな形体でやってるみたいです。




See You Again  by-nagisa

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