巻五 (77)実子に非ざる人、実子の由したる事(下)


17427661344941728118761334020588.jpg





 さて、若主人は、
 常々、自分を「親の子ではない」と陰口をたたいている連中を呼び、
 この老侍の口から、本当は親とよく似ているのだと言わせてやろうと、
 後見役を呼び出すと、
「明後日、当屋敷へ大勢がやって来るというから、
 しかるべく準備をして、もてなしに粗相の無いようにせよ」
 と言うと、後見役はまた、
「む」
 と返事して、さまざまな手配を済ませた。

 そうして、当日。
 親しい友達が四五人やって来ると、
 若主人はいつもよりも取り澄ませた顔で出てきて、
 酒をたくさん飲んだ後で、
「わしが親のもとに、長年仕えていた者をご覧にいれましょう」
 と言うと、集まった人々も、楽しそうに、赤ら顔を寄せて、
「是非とも及びください。故殿のもとにお仕えしていたとは、なかなか興味深い」
 と言う。

「誰か――あの者を呼んで参れ」
 と言えば、一人が立って、例の侍を呼んできた。

 見れば、すでに頭も禿げかけた、六十近い男で、
 目元などを見れば、決して嘘を吐くような男ではなかった。
 拝領品と思しき、つや出しされた白い狩衣に、練色の衣を着ている。
 そういう男が呼ばれて、かしこまり、扇を笏みたいに持って、平伏していた。

 若主人が、
「やや、おまえは、わしの父が若い時分より仕えていた者であるな」
 といえば、
「む」
 と答える。
「父を間近に見ていたであろう、どうか」
 そう言うと、
「仰るとおりです。故殿様には、十三歳の頃よりお仕えしておりました。
 それから五十になるまで昼夜離れることなくお仕えし、
 故殿から、『小冠者、小冠者』と呼ばれ、親しく使われておりました。
 また、故殿がご病気を患われた時は、おそばに臥すよう命じられて、
 夜中といわず暁といわず、便壺をお持ちしたこともあります。
 なるほどその折は、嫌な、堪え難いことのようにも思っていましたが、
 お亡くなりになってからは、どうしてそんなことを思ったものだと、
 悔しく思うこともたびたびでした」

 若主人は、
「数日前におまえと対面したが、わしが障子を開けて出た際、
 わしを見上げてほろほろと泣いたのはどういうわけだ。申してみよ」
 と、本題を言うと、侍は、
「別のことではありません。田舎で、故殿がお亡くなりになったと聞き、
 今一度、面影であっても見たいと、おそるおそるこちらへ参りましたところ、
 すぐに客殿でお会いくださることとなり、ありがたいことだと思っておりました。
 そこへ、障子を引き開けて、お出になったお姿を見上げましたところ、
 真っ黒な烏帽子が出てきたので、ああ、故殿があのようにお出ましになる時も、
 烏帽子は真っ黒であったと思い出されて、思わず涙がこぼれたのです」

 そんなことを言うものだから、集まった人々は思わず笑いを含むし、
 若主人も顔色を変えて、
「よし。ではほかに、故殿に似ているところはどこだ」
 と言うと、老侍は、
「そのほかは一切、似ているところはございません」
 と答えたものだから、集まった人々は笑って、
 一人、二人と逃げ失せてしまうのだった。




原文
実子にあらざる子の事
(実子に非ざる人、実子の由したる事)
(つづき)

さてこのあるじ、我を不定げにいふなる人々呼びて、この侍に事の子細いはせて聞かせんとて、後見召し出でて、「明後日これへ人々渡らんといはるるに、さる様に引き繕ひて、もてなしすさまじからぬやうにせよ」といひければ、「む」と申して、さまざまに沙汰し設けたり。
この得意の人々、四五人ばかり来集りにけり。あるじ、常よりも引き繕ひて、出であひて、御酒たびたび参りて後、いふやう、「吾が親のもとに、年比生ひ立ちたる者候をや御覧ずべからん」といへば、この集りたる人人、心地よげに、顔さき赤め合ひて、「もとも召し出さるべく候。故殿に候ひけるも、かつはあはれに候」といへば、「人やある。なにがし参れ」といはば、一人立ちて召すなり。見れば、鬢禿げたるをのこの、六十ばかりなるが、まみの程など、空事すばうもなきが、打ちたる白き狩衣に、練色の衣のさる程なる着たり。これは賜りたる衣と覚ゆる。召し出されて、事うるはしく、扇を笏に取りてうづくまり居たり。
家主のいふやう、「やや、ここの父のそのかみより、おのれは生ひたちたる者ぞかし」などいへば、「む」といふ。「見えにたるか、いかに」といへば、この侍いふやう、「その事に候。故殿には十三より参りて候。五十まで夜昼離れ参らせ候はず。故殿の故殿の、小冠者小冠者と召し候ひき。無下に候ひし時も、御跡に臥せさせおはしまして、夜中、暁、大壷参らせなどし候ひし。その時は侘びしう、堪へ難く覚え候ひしが、おくれ参らせて後は、などさ覚え候ひけんと、くやしう候なり」といふ。あるじのいふやう、「そもそも一日汝を呼び入れたりし折、我、障子を引きあけて出でたりし折、うち見あげてほろほろと泣きしは、いかなりし事ぞ」といふ。その時侍がいふやう、「それも別の事に候はず。田舎に候ひて、故殿失せ給ひにきと承りて、今一度参りて、御有様をだにも拝み候はんと思ひて、恐れ恐れ参り候ひし。左右なく御出居へ召し出させおはしまして候ひし。大方かたじけなく候ひしに、御障子を引きあけさせ給ひしを、きと見あげ参らせて候ひしに、御烏帽子の真黒にて、先づさし出でさせおはしまして候ひしが、故殿のかくのごとく出でさせおはしましたえりしも、御烏帽子は真黒に見えさせおはしまししが、思ひ出でられおはしまして、覚えず涙のこぼれ候ひしなり」といふに、この集りたる人々も笑をふくみたり。またこのあるじも気色かはりて、「さてまたいづくか故殿には似たる」といひければ、この侍、「その大方似させおはしましたる所おはしまさず」といひければ、人々ほほゑみて、一人二人づつこそ、逃げ失せにけれ。



(渚の独り言)

かわいそう……。
それにしても、どういうわけで、この若主人が故人の息子になったのでしょうねえ。

この話、用語的に難しいものは無いのですが、全体的に難しいです。。。



See You Again  by-nagisa

この記事へのコメント