巻五 (80)仲胤僧都、地主権現説法の事
これも今は昔。
仲胤僧都が、比叡山の僧衆から招かれて、
日吉神社二宮で法華経を誦経する導師をされたことがあった。
説法は、えも言われぬほど良いもので、終りの方になって、
「地主権現が申せと仰るには」
と前置きして、
「比経難持、若暫持者、我即歓喜、諸仏亦然」
という文句のところで、
ことさらにの「諸仏」というところを、声高に、
「地主権現が申せと仰るには、『我即歓喜、諸神亦然』」
と唱えたものだから、そこに集まっていた僧侶たちは喜び、
口々に歓声を上げ、扇を開いてやんやと囃したのだった。
さて後日。
日吉の神様でご開帳があり、
おのおのの前で千日の講が行われた時のこと。
日吉神社二宮における誦経で、ある僧が、
仲胤僧都の唱えた文句を、そのとおり少しも違えずに唱えたため、
聞いていた人が僧都に、
「こういうことがありましたが」
と告げ口をした。
仲胤はきゃらきゃらと笑い、
「それは、こうこうの時、この仲胤が唱えた文句だ。えい、えい」
とまた笑って、
「おおかた、このごろの説教などは、犬の糞説教というものだ。
犬というのは人の糞を食って、自らも糞をする。
この仲胤が行った説教をとり、説教をするのなら、それは犬の糞説教というのだ」
と語られたという。
原文
仲胤僧都地主權現説法の事
これも今は昔、仲胤僧都を、山の大衆、日吉の二宮にて法華経を供養しける導師に、請じたりけり。説法えもいはずして、はてがたに、「地主権現の申せとさぶらふは」とて、「比経難持、若暫持者、我即歓喜、諸仏亦然」といふ文を打ち上げて誦して、「諸仏」といふ所を、「地主権現の申せと候ふは、『我即歓喜、諸神亦然』」と言ひたりければ、そこら集まりたる大衆、異口同音にあめきて、扇をひらきつかひたりけり。
これをある人、日吉の社の御正体をあらはし奉りて、おのおの御前にて、千日の講をおこなひけるに、二宮の御料の折、ある僧、この句をすこしも違へずしたりけるを、ある人、仲胤僧都に、「かかる事こそありしか」と語りければ、仲胤僧都、きやらきやらと笑ひて、「これは、かうかうの時、仲胤がしたりし句なり。ゑいゑい」とわらひて、「おほかたは、このごろの説教をば、犬の糞説教といふぞ。犬は人の糞を食て、糞をまるなり。仲胤が説教をとりて、このごろの説教師はすれば、犬の糞説教といふなり」とぞ言ひける。
(渚の独り言)
きゃらきゃら、えいえいと笑う僧都が素敵です。
仲胤僧都:
平安末期の高僧。平家物語の前半に登場するような僧侶です。
有名な説法の名人で、色々な逸話が残っているとか。
巻一 (2)丹波国篠村、平茸のこと
に出てくるなど、ある種、水戸黄門的存在かと思われます。
日吉神社二宮:
今の日吉大社(ひよしたいしゃ)の東本宮。この頃は「ひえ」神社と呼んでいたはずです。
平家物語などで、比叡山の僧兵が都へ御神輿を担ぎ込んできますが、この神社の御神輿です。
比経難持、若暫持者、我即歓喜、諸仏亦然:
法華経に出てきます。日蓮宗の勤行で、頻繁に唱えるっぽいです。
>見宝塔品第十一の偈文(詩句)であるところから、「宝塔偈」という。法華経を末世に信じ行いひろめることの困難さをあかし、その苦難にひるまないで、つねに法華経を信じ、読み、知り、説いていかねばならないことを教えている……。
この法華経を長く保持しているのは難しいけど、もし、しばらくでも保持できたら、私自身もうれしいし、仏たちも喜ぶぜ……というような意味です。
地主権現:
じしゅごんげん。
日吉神社二宮(今でいう東本宮)の、おおやまくいの神さまのことです。大山クイ(←クイは、口へんに乍)神。
昔から比叡山におわす、土地神様のこと。
というわけで、僧都は、日吉神社(比叡山)の大衆にリップ・サービスして、
「諸仏亦然」というところを、「諸神亦然」と言い換えたのです。
法華経はすばらしいぜという、お経の大意は、変りませんね。
See You Again by-nagisa
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