巻六 (83)廣貴、炎魔王宮へ召る事


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 これも今は昔、藤原廣貴(ひろたか)という男がいた。
 死んだ後、閻魔の庁に呼ばれて、閻魔大王の御前と思しきところに参上したところ、
 大王が言うには、
「おまえの子供を孕み、産もうとした女が死んだ。
 女は地獄に落ち、責苦を受けているが、心にかかることがあると申しておるゆえ、
 おまえを呼んだのだ。まず、そのような女との関係があったか」
 と問われたので、廣貴は正直に、
「そのようなこと、ございました」

 大王が言うには、
「おまえの妻の訴えるところは、
『自分は男とともに罪をつくり、しかも彼の子供を産みそこなって死に、地獄へ落ちた。
 そのため私は今こうして堪え難い苦痛を受けているが、
 彼は薄情にも私の後生を弔おうともしません。
 こうなれば私一人が責苦を受けることもない。
 廣貴を私のもとへと呼び寄せ、同じような責苦を受けさせていただきたい』
 そう申しておるゆえ、おまえを呼んだのであるぞ」

 廣貴は、
「その訴え、もっともな道理と存じます。
 公私のことをあれこれ行っているうちに、思いをかけながらも、
 妻たる人の後生を弔うこともせず、月日をはかなく過ごして参りました。
 ただこの段階になりましては、
 私が妻のもとへ参って、妻とともに責苦を受けることになっても、
 妻の苦痛が減ることはないでしょう。
 そうであれば、大王様においとまを申し上げ、現世にかえり、
 さまざまのことを捨てて、妻のためにお経を書き、
 ねんごろに供養してやろうと思いたいと存じますが」

 そう申し上げたところ、閻魔大王は、
「しばし待て」
 と言って、彼の妻を呼び、夫たる廣貴の申し出を伝えると、妻は、
「まことにまことに、経文を書き、供養すると申しているのなら、早くお許しください」
 と返事した。

 大王は、また廣貴を呼んで、妻の言葉をそのまま聞かせて、
「そういう次第であるから、今回は戻るように。
 だが間違い無く、妻の為に教典を書き、供養して、ねんごろに弔わねばならぬぞ」
 と言って、帰ることを許したのだった。

 廣貴の方は、そういう次第になったものの、
 さて誰のお陰で、このような特別な計らいが許されたのか、分らなかった。

 閻魔大王の前から立ち去る道すがら、あの玉の簾の内側に座り、
 このような沙汰をして私を現世へと帰してくれた人は、誰であったろうと思いながら、
 道を戻り、閻魔の庁の庭先へ出ると、簾の内側から、
「そこにいるのは廣貴か。現世へ帰されたのではなかったのか。
 どうしてまたここへ戻ってきたのか」
 と問われた。

 廣貴は、
「図らずもご恩を受けて、戻ることの叶わぬ現世へ帰ることを得ましたが、
 いかなる方の仰せでこうなったのか、
 全く存じないまま現世へ帰るのはあまりに情けなく、また不審なことでもあるので、
 恐れながらこれを承ろうと、ここへ参った次第です」
 そう申し上げた。

 すると、
「おまえは疑り深い奴だな。閻浮提すなわち人間界において、
 わしは、地蔵菩薩と称されておるぞ」
 その言葉に、つまり閻魔大王とは地蔵さまのことか、地蔵様の御前に参上したために、
 自分は地獄の責苦を免れることとなったのだ――。
 そう思っていると、廣貴は死後三日経ってから、生き返ったのだった。
 その後、妻のために教典を書き、供養してやったという。

 この話、日本の法華験記という書物に記されているという。




原文
廣貴炎魔王宮へ召る事

是も今は昔、藤原廣貴といふ者ありけり。死て閻魔の聴(ちやう)にめされて、王の御前とおぼしき所に参りたるに、王のたまふやう、「汝が子をはらみて、産をしそこなひたる女死にたり。地獄におちて苦をうくるに、うれへ申ことのあるによりて、汝をば召したるなり。まづさる事あるか」と問はるれば、廣貴「さる事候ひき」と申。王のたまはく、「妻のうたへ申心は『われ、男に具して、ともに罪をつくりて、しかも、かれが子を産みそこなひて、死して地獄におちて、かかるたへがたき苦をうけ候へども、いさゝかもわが後世をも、とぶらひ候はず。されば、我一人苦を受候ふべきやうなし。廣貴をも、もろともに召て、おなじやうにこそ、苦を受候はめ』と申によりて、召したる也」とのたまへば、廣貴が申やう、「此うたへ申事、もつともことわりに候。おほやけわたくし、世をいとなみ候間、思ながら後世をばとぶらひ候はで、月日はかなくすぎ候ふなり。たゞし今におき候ては、共に召されて苦をうけ候とも、かれがために、苦のたすかるべきに候はず。されば、此度はいとまを給はりて、娑婆(しやば)にまかりかへりて、妻のためにやろづを捨て、仏経を書き供養して、とぶらひ候はむ」と申せば、王「しばし候へ」とのたまひて、かれが妻を召しよせて、なんぢが夫、廣貴が申やうを問ひ給へば、「げにげに、経仏をだに書き供養せんと申候はば、とくゆるし給へ」と申時に、また廣貴をめし出て、申まゝのことを仰きかせて、「さらば、此度はまかり帰れ。たしかに、妻のために、仏経を書き供養して、とぶらふべき也」とて、かへしつかはす。
廣貴、かゝれども、これはいつく、たれがのたまふぞ、ともしらず。ゆるされて、座をたちてかへる道にて思ふやう、此玉の簾のうちにゐさせ給て、かやうに物の沙汰して、我をかへさるゝひとは、たれにかおはしますらんと、いみじくおぼつかなくおぼえければ、又参りて、庭にいたれば、簾のうちより「あの廣貴は、かへしつかはしたるにはあらずや。いかにして又参りたるぞ」と、問はるれば、廣貴が申やう、「はからざるに、御恩をかうぶりて、帰がたき本国へかへり候ことを、いかにおはします人の仰共、え知り候はで、まかりかへり、候はむことの、きはめていぶせく、くちおしく候へば、恐ながらこれを承に、また参りて候なり」と申せば、「汝不覚也。閻浮提(えんぶだい)にしては、我を地蔵菩薩とせうす」とのたまふをききて、さは炎魔王と申は、地蔵にこそおはしましけれ。此菩薩につかうまつり候が、地獄の苦をばまぬかるべきにこそあめれと思ふ程に、三日といふに生きかへりて、其後、妻のために仏経を書き供養してけりとぞ。
日本の法華験記に見えたるとなん。



(渚の独り言)

第六巻はじめ!
微妙に、地蔵様は最初に地獄へ落ちた、妻を救わなかったのと思ったり。。。

藤原廣貴:
ふじわらひろたか。広貴。不明です。

閻浮提:
えんぶだい。仏教の世界観で、人間世界のこと。世界の中心である須弥山の四方にある大陸のうち、南方にあり、閻浮樹が生えているとされ、もとはインドをさした。

閻魔大王=地蔵菩薩:
日本独自の思想みたいです。地獄の裁判官・十王のうち閻魔大王さまが、どういうわけか、地蔵菩薩。
「仏説地蔵菩薩発心因縁十王経」というお経が中世日本で生れて(大陸仏教の影響もあるみたいです)、それを根拠に、地蔵菩薩=閻魔大王という説が広まった模様。
地獄の恐ろしい裁判官が実はお地蔵様だったという、たいへん都合の良いありがたい説です。
この発想が登場する背景、理論は今ひとつ検索できませんでしたが、地蔵菩薩は、地獄と現世を行ったり来たりして、地獄で苦しんでいる人を救う力があるので、その辺からの発想かもしれません。



See You Again  by-nagisa

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