巻六 (88)賀茂社より御幣紙、米等を給う事

今は昔、比叡山に、とある僧侶がいた。
たいそう貧しかったが、あるとき、鞍馬寺へ七日参りをした。
「これで、何か夢のお告げがあるだろう」
と思って参詣していたけれど、それらしい夢を見ないから、
さらに七日、参詣したものの、それでも夢は見ない。
そのためさらに七日、また七日と参籠して百日経った夜の夢に、
「我は何にも知らぬ。清水寺へ参れ」
と、鞍馬のお使いと思しき者から言われたから、
翌日すぐに清水寺へ参り、そこでさらに百日参詣をしたところ、
またも、
「我の方こそ知らぬ。賀茂へ参れ」
と夢で告げられたため、今度は賀茂神社へ参詣した。
ここでも七日参りのつもりが、お告げの夢を見るべく参詣をつづけて百日。
その夜の夢に、
「おまえがそのように詣でたことを愛でて、
御幣紙、打捲きの米を、確かにとらせようぞ」
というお告げがあった。
僧侶は驚いたものの、すぐに情けないような、やりきれない思いになった。
「ほうぼう巡り詣でて、これほど籠もり続けた挙句、この程度のお告げだ。
打撒きに使う程度の、わずかな米をもらって、どうなるというのか。
山へ帰ろうにも、恥ずかしくてならない。この上は、賀茂川へ身投げするほかない」
と思ったものの、さすがに、飛び込むこともできなかった。
「ともかく、どのようなことをしていただけるのか」
少なくともお告げを受けたのだからと、もといた比叡山の坊舎へ戻ったところ、
やがて知り合いのもとより、
「申し上げます」
と、訪れる者があった。
「誰だ」
と見ると、その使いの者は、担ってきた白い長櫃を縁側へ置き、
さっさと帰ってしまった。
不思議に思い、どこへ行ったのかと見たが、もういない。
それでとりあえず、長櫃を開けてみたところ、
中には真っ白な米と、良質な紙が入っていたから、
「夢に見たとおりだ。確かに、夢でもこのようなものを見たように思うが、
いただけるのは本当にこれだけなのか……」
と、情けなくて仕方なかった。
だが、もはやどうしようもあるまいと、この米をいろいろに使ってみたところ、
ずっと同じ量のまま、尽きることが無い。
紙も同様に、使っても無くなることがなかった。
この後、僧侶は、きらびやかな生活、というほどでもないが、
苦労のない、気楽な法師となって日々を過ごしたという。
気を長く持って、参詣するべきなのである。
原文
自賀茂社御幣紙米等給事
今は昔、比叡山に僧ありけり。いと貧しかりけるが、鞍馬に七日参りけり。「夢などや見ゆる」とて参りけれど、見えざりければ、今七日とて参れども、猶見ねば、七日を延べ延べして、百日といふ夜の夢に、「我はえ知らず。清水へ参れ」と仰らるゝと見ければ、明日日より、又、清水へ百日参るに、又、「我はえこそ知らね。賀茂に参りて申せ」と夢に見てければ、又、賀茂に参る。
七日と思へど、例の夢見ん見んと参るほどに、百日といふ夜の夢に、「わ僧がかく参る、いとをしければ、御幣紙、打徹(うちまき)の米ほどの物、たしかにとらせん」と仰らるゝと見て、うちおどろきたる心地、いと心うく、あはれにかなし。「所所参りありきつきるに、ありありて、かく仰らるゝよ。打徹のかはり斗給はりて、なににかはせん。我山へ帰りのぼらむ、人目はづかし。賀茂川にや落ち入なまし」など思へど、又、さすがに身をもえ投げず。
「いかやうにはからはせ給べきみか」と、ゆかしきかたもあらば、もとの山の坊に帰てゐたる程に、知りたる所より、「物申候はん」といふ人あり。「誰そ」とて見れば、白き長櫃をになひて、縁に置きて帰ぬ。いとあやしく思て、使を尋れど、大かたなし。これをあけて見れば、白き米と、よき紙とを、一長櫃入る。「これは見し夢のまゝなりけり。さりともとこそ思つれ、こればかりを誠にたびたる」と、いと心うく思へど、いかゞはせんとて、此米をよろづに使ふに、たゞおなじ多さにて、尽くる事なし。紙もおなじごとつかへど、失する事なくて、いと別にきらきらしからねど、いとたのしき法師になりてぞありける。
猶、心長く、物詣ではすべきなり。
(渚の独り言)
そんな信心で良いのですか。。。
御幣紙:
ごへいがみ。御幣につかう紙。御幣=幣束というのは神主さんが、今でも家を建てる際の地鎮祭などで、土地の真ん中に立てたりする、細長い、ぎざぎざした紙のことです。通常は左右に分かれてますね。
打捲きの米:
昔は、魔除けのために神前でお米をばらまいたそうです。
ここは単に、「お供えの米」という意味かもしれません、いずれにしても、少ない。。。という量だったのですね。
きらきらしからねど:
キラキラしてるわけじゃないけど=キラキラの金持ちめいたわけではないけど。
See You Again by-nagisa
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