巻六 (91)僧伽多、羅刹国に行く事(上)


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 昔、天竺の国に、僧伽多(そうきゃた)という人がいた。
 五百人の商人を乗せて、かねの津という場所を目指していたところ、
 急に風が悪くなり、舟は南へ南へと、矢を射るように吹き流されてしまった。

 やがて見知らぬ世界へ吹き寄せられ、陸へ近づいたので、
 何はともあれ、ありがたいことだと、全員、途惑いつつも舟から下りた。

 しばらくすると、実にうるわしい恰好をした女たちが十人ばかりが出てきて、
 歌をうたいながら近づいてくる。
 見知らぬ土地へ流され、心細くてならなかったところで、
 こんな美しい女たちに出会えたのだからと、みんなで呼び寄せると、
 女たちはこちらへやって来た。

 近くで見ると、ますます美しく、見たことないほどに気品が感じられたから、
 五百人の男どもは、大喜びすること限りなかった。

 そうして商人が女に尋ねて、
「我々は宝を求めて船出をしたが、悪い風に遭い、見知らぬ世界へ来てしまった。
 辛く、耐え難く思っていたが、あなた方の様子を見ているうち、憂鬱は消え失せた。
 この上は、すみやかに我々を引き連れ、助け、養ってくれまいか。
 舟はみな壊れたため、帰るすべが無いのだ」
 そう言うと、女どもは、
「そのような事情であれば、いざこちらへ」
 と言って、前に立って一同を先へ導く。

 屋敷に着いてみると、白く高い築地塀を遠くまで巡らせて、
 いかめしく門構えがしてあった。
 そこへ一同が入ると、女どもは門の錠を閉ざした。
 塀の中には、様々な館が距離を隔てて建てられており、男は一人もいなかった。

 商人たちは銘々、女を妻にして、館へ分散して暮すようになった。
 みな仲むつまじいこと限りなく、片時も離れてはいられない心地で暮すうち、
 ふと、女たちが毎日欠かさず、長い昼寝をすることに気がついた。

 むろん美しい寝顔であったが、寝入るにつれて、
 何となく、薄気味悪いようにも感じられた。

 僧伽多も、不気味な寝顔に不審を感じて、
 ある日、女と一所に昼寝をしている最中、そっと起き上がり、
 あちこち敷地内を見て回っていると、ひとつの館に行き着いた。

 そこはひときわ高く築地塀を巡らせ、戸には頑丈な錠がかけられてある。

 近くからよじ登り、中を見れば、そこには大勢の人がいたが、
 すでに死んでいたり、うめき声を上げているありさまであった。
 白骨になっている屍もあれば、赤く血だるまになっている屍も数多い。

 僧伽多は、生きている者を招き寄せると、
「ここの連中は、なぜこのようなことになっているのだ」
 と問うと、その男は答えて、
「私は南天竺の者ですが、商いのため、海を渡っていたところ、
 悪い風に吹き流され、この島に来ました。
 その後、世にも麗しいなりをした女どもに騙され、
 帰ることさえ忘れて暮していましたが、生れる子供は女ばかり。
 それからもさらに一緒に暮しておりましたが、
 新たな商人の舟が流れ着くや、これまでの男たちを閉じ込め、こんなふうにして、
 日々の食事にしてしまうのです。
 あなた方も、次の別の舟が来た時には、このような目に遭わされるでしょう。
 何としても、早くお逃げなさい。
 この島の鬼どもは、昼の三刻の間は昼寝をする。
 この間にうまく脱出できたなら、逃げ切ることができるでしょう。
 私は――この館は周囲を鉄で閉ざされていて、
 しかも足の筋を断たれているから、逃げることもできません」

 男の泣く泣く訴えることを聞いた僧伽多。
「怪しいと思ってはいたが」
 と、もとの館へ帰るや、残った商人たちにこの話をしたところ、
 みな驚き、困惑しつつも、女たちが昼寝をした隙に、
 僧伽多を先頭に、浜辺へと逃げ出したのである。

 だが舟は無いから、浜へ着くや、遙か彼方、
 観音が住むという補陀落世界へ向い、全員で声をあげて、観音を念じ続けた。
 と、そのうちに、沖の彼方から、大きな白馬が波の上を泳ぎ渡り、
 商人たちの前へ来て、うつぶせになったから、
 これぞ観音を念じた霊験――とばかりに、
 その場の男たちは全員、馬にしがみついたのであった。

 さて女どもは、昼寝から目覚めてみると、男たちが一人もいない。
「逃げたぞ」
 と、その場の全員で浜辺へ向ったところ、折しも、
 男たちが全員、葦毛の馬へ乗りついて、海を渡って行くところであった。

 女どもはたちまち、一丈、つまり身の丈3メートルほどもある鬼に変化し、
 一躍、四五丈すなわち15メートルばかりも躍り上がるや、罵り叫んだ。

 と、これに、一人の商人が、
 自分の女は世にも素晴らしかったのになあ、
 などと未練なことを思っていたのか、手を滑らせて海へ落下。
 たちまち、これを羅刹どもが争うように奪い合い、
 そのまま破り食ってしまったのであった。

 その後、馬は南天竺の西の浜へ到着し、そこでうつぶせになったから、
 商人たちは喜び、馬から下りた。
 すると馬はかき消えるようにしていなくなった。

 僧伽多は心底から恐ろしく、国へ戻ってからは誰にもこのことを話さなかった。

【つづき】



原文
僧伽多羅刹国に行く事(上)

昔、天竺に僧伽多といふ人あり。五百人の商人を舟に乗せて、かねのつへ行くに、にはかに悪しき風吹きて、舟を南の方へ吹きもて行く事、矢を射るがごとし。知らぬ世界に吹き寄せられて、陸(くが)に寄りたるを、かしこき事にして、左右なくみな惑ひおりぬ。暫しばかりありて、いみじくをかしげなる女房十人ばかり出で来て、歌をうたひて渡る。知らぬ世界に来て、心細く覚えつるに、かかるめでたき女どもを見つけて、悦びて呼び寄す。呼ばれて寄り来ぬ。近まさりして、らうたき事物にも似ず。五百人の商人目をつけて、めでたがる事限なし。
商人、女に問うて曰く、「我ら宝を求めんために出でにしに、悪しき風にあひて、知らぬ世界に来たり。堪へ難く思ふ間に、人々の御有様を見るに、愁の心みな失せぬ。今はすみやかに具しておはして、我らを養ひ給へ。舟はみな損じたれば、帰るべきやうなし」といへば、この女ども、「さらば、いざさせ給へ」といひて、前に立ちて導きて行く。家に着きて見れば、白く高き築地を、遠く築きまはして、門をいかめしく立てたり。その内に具して入りぬ。門の錠をやがてさしつ。内に入りて見れば、さまざまの屋ども隔て隔て作りたり。男一人もなし。
さて商人ども、皆々とりどりに妻にして住む。かたみに思ひあふ事限なし。片時も離るべき心地せずして住む間、この女、日ごとに昼寝をする事久し。顔をかしげながら、寝入るたびに少しけうとく見ゆ。僧伽多、このけうときを見て、心得ず怪しく覚えければ、やはら起きて、方々を見れば、さまざまの隔て隔てあり。ここに一つの隔てあり。築地を高く築きめぐらしたり。戸に錠を強くさせり。そばより登りて内を見れば、人多くあり。あるいは死に、あるいはによふ声す。また白き屍、赤き屍多くあり。僧伽多、一人の生きたる人を招き寄せて、「これはいかなる人の、かくてはあるぞ」と問ふに、答えて曰く、「我は南天竺の者なり。商のために海を歩きしに、悪しき風に放たれて、この嶋に来たれば、世にめでたげなる女どもにたばかられて、帰らん事も忘れて住む程に、産みと産む子は、みな女なり。限なく思ひて住む程に、また異商人舟、より来ぬれば、もとの男をば、かくのごとくして、日の食にあつるなり。御身どももまた舟来なば、かかる目をこそは見給はめ。いかにもして、とくとく逃げ給へ。この鬼は、昼三時ばかりは昼寝をするなり。この間よく逃げば逃ぐべきなり。この築かれたる四方は、鉄にて固めたり。その上よをろ筋を断たれたれば、逃ぐべきやうなし」と、泣く泣くいひければ、「怪しとは思ひつるに」とて、帰りて、残の商人どもに、この由を語るに、皆あきれ惑ひて、女の寝たる隙に僧伽多を始めとして、浜へみな行きぬ。
遙に補陀落世界の方へ向ひて、もろともに声あげて、観音を念じけるに、沖の方より大なる白馬、波の上を泳ぎて、商人らが前に来て、うつぶしに伏しぬ。これ念じ参らする験なりと思ひて、ある限みな取りつきて乗りぬ。さて女どもは寝起きて見るに、男ども一人もなし。「逃げぬるにこそ」とて、ある限浜へ出でて見れば、男みな葦毛なる馬に乗りて、海を渡りて行く。女ども、たちまちにたけ一丈ばかりの鬼になりて、一四五丈高くをどり上りて、叫びののしるに、この商人の中に、女の世にありがたかりし事を思ひ出づる者、一人ありけるが、取りはづして海に落ち入りぬ。羅刹奪ひしらがひて、これを破り食ひけり。さてこの馬は、南天竺の西の浜にいたりて伏せりぬ。商人ども悦びておりぬ。その馬かき消つやうに失せぬ。
僧伽多深く恐ろしと思ひて、この国に来て後、この事を人に語らず。



(渚の独り言)

第6巻最後の話。おそろしいですね。つづきます!

僧伽多:
そうきゃた。不明。

羅刹:
らせつ。人を食うといわれる悪鬼。のち仏教に入り、守護神となる。
この話では、単なる人食い鬼ですが、羅刹天というと、ヴェーダ神話では財宝の神クヴェーラ(毘沙門天)をその王として、南方の島ランカー(現在のスリランカ)を根城としていた――と出ます。この島はスリランカかもしれません。 



See You Again  by-nagisa

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