巻六 (91)僧伽多、羅刹国に行く事(下)


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 いくばくもせず、皇太子が帝位につかれた。
 僧伽多を呼び、ことの次第を問われると、僧伽多は、
「そうなると存じていたからこそ、
 あのような者はすみやかに追い出されるべしと申し上げていたのです。
 この上は、今より帝のご命令を受けて、あの鬼どもを討伐して参ります」
 と申し上げた。

「申すままに、何なりと賜るであろう」
 とのことであったから、
「刀剣を装備した兵士を百人、弓矢を備えた兵士を百人。
 お与えくださいましたら、早舟に乗せて出航させます」
 と申し出ると、望んだとおりの兵隊が与えられた。


 やがて僧伽多はこの軍兵を率い、例の、羅刹の島へと漕ぎ寄せた。
 そしてまず、商人のような者を十人ほど、砂浜へ下ろすと、
 以前と同じような美姫が謡い現れ、商人たちを誘い、女の城へと連れて行った。

 その背後について――。
 二百人の兵士どもが城へと乱入するや、女どもを打ち斬り、射殺して行く。
 と、女どもは、はじめこそ悲しげな、あわれな様相を見せて同情を誘っていたが、
 僧伽多が大声を放ち、走り回って兵たちを叱咤しつづけるや、
 やがて女どもは鬼の姿となり、大口を開けて攻めかかって来た。

 だがこれを太刀にて頭を割り、手足を打ち斬って、
 空を飛んで逃げようとする奴は弓で射落としたため、
 島の鬼は、一人として生き残る者は無かった。
 さらに屋敷には火をかけて焼き払い、焦土にしてしまった。

 帰国後、皇帝にこの旨を報告すると、僧伽多にこの島がくだされることとなった。

 そしてそのまま二百の軍兵を連れて島へ住み、たいそう安楽に暮したという。
 今も僧伽多の子孫が、この島の主として存続していると伝わっている。




原文
僧伽多羅刹国に行く事(つづき)

御子の春宮、やがて位につき給ひぬ。僧伽多を召して、事の次第を召し問はるるに、僧伽多申すやう、「さ候へばこそ、かかるものにて候へば、すみやかに追ひ出さるべきやうを申しつるなり、今は宣旨を蒙つて、これを討ちて参らせん」と申すに、「申さんままに仰せ給ぶべし」とありければ、「剣の太刀はきて候はん兵百人、弓矢帯したる百人、早舟に乗りて出し立てらるべし」と申しければ、そのままに出し立てられぬ。僧伽多この軍兵を具して、かの羅刹の嶋へ漕ぎ行きつつ、まづ商人のやうなる者を、十人ばかり浜におろしたるに、例のごとく玉女ども、うたひを謡ひて来て、商人をいざなひて、女の城へ入りぬ。その尻に立ちて二百人の兵乱れ入りて、この女どもを打ち斬り、射るに、暫しは恨みたるさまにて、あはれげなる気色を見せけれども、僧伽多大なる声を放ちて、走りまはつて掟てければ、その時、鬼の姿になりて、大口をあきてかかりけれども、太刀にて頭をわり、手足打ち斬りなどしければ、空を飛びて逃ぐるをば、弓にて射落しつ。一人も残る者なし。家には火をかけて焼き払ひつ。むなしき国となして果てつ。さて帰りて、おほやけにこの由申しければ、僧伽多にやがてこの国を賜びつ。二百人の軍兵を具して、その国にぞ住みける。いみじくたのしかりけり。今は僧伽多が子孫、かの国の主にてありとなん申し伝へたる。



(渚の独り言)

すっごい侵略者ですね。これにて、第6巻終了!
ところで、前回、皇帝を食い殺した女は、捕まってませんね。。。

僧伽多(補足):
そうきゃた。
「僧伽(そうぎゃ)」とは、仏教の用語で修行者の集まりや、教団のこと、です。古代インドでは、自治組織をもつ同業者組合、共和政体のことをサンガといった、とあります。
というわけでこの話は、商人集団が人食い島へ攻め込み、島民を皆殺しにして征服してのけた――という伝説のことかもしれません。

羅刹(補足):
らせつ。
「羅刹の男は醜く、羅刹の女は美しいとされ」とあるので、変化した恐ろしい鬼どもは、実は、羅刹女たちの夫だったかもしれませんね。

剣の太刀:
「剣太刀」で単に、太刀のことみたい。

掟てければ:
掟つ。おきつ。命令する。


 

See You Again  by-nagisa

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