宇治拾遺物語【休題閑話後記】
第六巻の(渚の独り言)後記
コメント
いよいよ90話に到達。
ちまちまとやっていて、ふとこれまでに訳したものを振り返ると、
たくさんやったなあ!
と、我ながら、感心するような量になりました。
次の第七巻で、折り返し地点。
あー、でも、まだ半分か。
第六巻の適当訳後記仏教系の、しかも何というか、
たいへん俗っぽい話が多いような気がしました。
ここまで信仰してるんだから、見返りをくれ!
いつも拝んでるのに、助けてくれないのか!
と言うような。
次の七巻に、「わらしべ長者」の話が出てきますが、
そういう、人間の煩悩丸出しで、信仰しても良いのだなあと、
微笑ましかったです。
印象的な話第六巻は、話数が少ないので、いずれも印象的といえば、印象的。
その中では、先ほどの煩悩丸出しの話、
(88) 賀茂社より御幣紙米等給う事
なんて、たいへんにおもしろかったです。
「さんざん参詣して、これっぽっち。恥ずかしいから死ぬしかない。。。」
と言いつつ死なずに帰る話なんて、
平安人の人間くささが出ていて、非常に好ましかったです。
ところでまったく個人的な話ですが、
あたくしは一向に当らない小説を書いてる身でして、
この六巻訳を進めている最中に、ひとつふたつ、
この宇治拾遺をもとに、小説を書いておりました。
(48) 雀報恩事
をもとにした、「老後」という話や、
(46) 臥見修理大夫俊綱事
をもとにした話。
どちらも、現代語訳をする中で知った話であり、
何といっても、この訳を通じて、平安後期の時代背景、空気感を学んだものです。
そういうわけで勉強しつつ、楽しみつつ、続けております、「宇治拾遺物語」現代語訳。
七巻以降も引き続き、お気楽に見守りくださいますと、うれしいですー。
ではでは。
See You Again by-nagisa
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