巻八 (105) 千手院僧正仙人に逢う事

むかし、比叡山西塔の千手院というところに、
静観僧正という座主がお住まいになっていた。
夜が更けてから明るくなるまで、尊勝陀羅尼経を読み通すことを続けて、数年。
その声を聞く人は、これをたいへんに尊んでいた。
さて、陽勝という仙人がある晩、
空を飛んでいて、僧正の宿坊上空を通り過ぎようとするところで、
陀羅尼経を読む声を聞いて、下へ降り、
高欄の横木の上に腰をおろした。
陀羅尼経を読んでいた静観僧正は、誰だと思って、尋ねると、
蚊の鳴くような声で、
「陽勝仙人でございます。上空を通り過ぎたところ、
尊勝陀羅尼経の結構な御声を拝聴し、ここへ参りました」
と言うので、僧正は戸を開けて中へ招き入れると、
仙人は飛び降りて、僧正の前へ座った。
そうして、この頃の話などをして、
「ではそろそろ帰ります」
と陽勝仙人は立ち上がったが、人の気といったものに押されて、
うまく飛び立つことができない。
それで、
「香炉の煙を、近くに寄せてください」
と言うので、僧正が、香炉を近くへさし寄せると、
陽勝はその煙に載って、空へとのぼっていったのだった。
この僧正は、その後も香炉を用い、煙を立てるようになった。
実は陽勝仙人は、昔、静観僧正が親しく使っていた僧侶であって、
修行中に失踪してしまったため、数年来、どうしたのかと心配していたところ、
この日こうして訪れたため、あわれ、あわれと思って、
それからの僧正は、しばしば泣いてしまうのだという。
原文
千手院僧正仙人に逢ふ事
むかし、山の西塔千手院に住給ける静観僧正と申ける座主、夜更て、尊勝陀羅尼を、夜もすがらみて明して、年比になり給ぬ。きく人もいみじく貴みけり。陽勝仙人と申仙人、空を飛て、この坊のうへをすぎけるが、此陀羅尼のこゑをきゝて、おりて、高欄のほこ木のうへにゐ給ぬ。僧正、あやしと思ひて、問給ひければ、蚊のこゑして、「陽勝仙人にて候なり。空をすぎ候つるが、尊勝陀羅尼の聲を承りて参り侍るなり」とのたまひければ、戸を明て請ぜられければ、飛び入て、前にゐ給ぬ。年比の物語して、「今はまかりなん」とて立ちけるが、人げにおされて、え立たざりければ、「香爐の煙をちかくよせ給へ」とのたまひければ、僧正、香爐をちかくさしよせ給ける。その煙にのりて、空へのぼりにけり。此僧正は、年をへて、香爐をさしあげて、煙をたててぞおはしける。此仙人は、もとつかひ給ける僧の、おこなひして失せにけるを、年比あやしとおぼしけるに、かくして参りたりければ、あはれあはれとおぼそてぞ、つねに泣き給ける。
(渚の独り言)
これで第八巻が終了! まだまだ続けますよー。
静観僧正
第20話で雨乞いを成功させたり、第21話で毒龍の岩を祈り砕いたりする高僧です。
承和10年(843年)生れ。宇多天皇・上皇、菅原道真と同じ時代の人です。
尊勝陀羅尼経
尊勝仏頂に捧げられた陀羅尼(だらに)。唱える事によって滅罪、生善、息災延命などの利益が得られる、そうです。
「尊勝仏頂」というのは、如来の肉髻(にくけい)を神格化した仏の一種……頭が、お椀をかぶったように膨らんだやつです。脳みそが巨大になった証拠なんですね。
で、それを称える、尊勝陀羅尼。
陀羅尼とは、仏経文の中の呪文の一種で、梵語の音をそのまま漢音で読んだもの。有名な陀羅尼には、般若心経の「ぎゃーてーぎゃーてー、はーらーぎゃーてー」というのがありますね。
陽勝仙人
貞観11年(869年)生れ。もとは僧侶で、蚊に血を吸わせてやるくらい慈悲深い人でした。
この陽勝は、まず比叡山で修行を積み、大僧正にまでなった後、さらに仙人修行を行った――と書いているところもありました。
See You Again by-nagisa
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