巻七 (96)長谷寺参籠の男、利生に預る事(下)


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巻七 (96)長谷寺参籠の男、利生に預る事(下)
 


その晩は路傍の人家に宿り、明ければ烏とともに起き出して、
 青侍がさらに行くほどに、日もだいぶ高くなって、辰の刻つまり朝8時頃。

 青侍は、えも言われぬほどすばらしい馬に乗った人と行き会った。
 その人は、よほどその馬を愛していたのであろう。
 馬に道を歩ませる、というより馬を運動させているような感じであったから、
「まことに、何ともいえない名馬だ。
 こういう馬を、千貫駆けの駿馬というのであろう」
 と思って見ていると、この馬がいきなり倒れた。

 と、そのまま死んでしまったのである。
 馬に乗っていた主人は我を失わんばかり。
 下に降りたまま立ち尽くし、戸惑い、従者も慌てて鞍を下ろすなどしていたが、
「いかが致せば良い、いかが致せば良い」
 と言っているうちに何の甲斐もなく、そのまま死んでしまったため、
 手を打ち叩き、嘆き、泣き喚くほどに悲しんだが、
 もはやどうしようもないと、別に連れていた貧弱な馬へまたがった。

 そして、
「このようにして、ここへ残ったとしても、何も出来ぬ。
 わしらは去るゆえ、ともかく、この馬をどうにかして往来より引き隠すように」
 と命じ、下人を一人残して、立ち去るのだった。

 さて青侍。
「これはすなわち、あの馬は我が物とならんために、死んだに相違ない。
 藁しべ一本が蜜柑三つとなり、蜜柑三つが布三匹になったのだ。
 今度はこの布が、馬になろうというもの」
 と思い決めて、歩み寄ると、
「これは、いかなる馬か」
 と、下人に問うた。

「これは陸奥で手に入れた馬で、あらゆる人が欲しがり、
 値段も上限もなしに買おうという申し出もあったほどの名馬です。
 でも主人がこの馬を惜しみ、放さずに過していましたが、
 結局、今日このように死んでしまった。
 だからこの馬の値を、少しも手に入れてないことになります。
 わしは、せめてこの馬の皮でもと思っておりますが、
 旅の空ではどうしようかと、とりあえず見守って立ち尽くしているのですよ」

 そう言われて、青侍は、
「そのことだ。最前より立派な馬だなあと見ていると、はかなく死んでしまった。
 命あるものとは、あわれなものではないか。
 なるほど、たしかに旅の途中では、皮を剥ぎ取ったとしても、干すことは出来まい。
 わしはこの辺に住む者であるから、わしが皮を剥いで使いたい。この馬、わしにくれ」
 と言って、布を一匹き与えたところ、
 下人は、これは思わぬ儲けものだとばかりに、気が変る前にと、布を受けとるや、
 あとを振り向きもせず、駆け去ったのであった。

 さて青侍。
 まんまと馬を手に入れた後、手をよく洗い、長谷寺の方へ向って、
「この馬、どうか生かしてくださいませ」
 と念じたところ、馬が目を開いたと思うと頭をもたげ、立ち上がろうとしたから、
 青侍はすばやく手をかけ、立たせてやった。

 この上もなく嬉しく思ったが、
「あとから来る人があるやも知れぬし、さっきの男が戻って来るかも知れぬ」
 と危うく思い、ひとまず馬を物陰へ隠して、時間が経つまで休ませた。
 そうして、馬ももとのような心地になった様子なので、
 その辺の人を訪ねて、別の布一匹と、轡や粗末な鞍とを交換して、馬にまたがった。

 そうして京都へとのぼる途中、宇治のあたりで日が暮れてきたので、
 青侍はその夜もまた人家に宿り、最後の布一匹と馬の草、自分の食べ物と交換した。

 さて、その翌早朝。
 きわめて早い時間に京都へのぼったところ、
 九条辺で、これからどこかへ出かけようとして、立ち騒いでいるところがあった。
 青侍は、
「この馬を京の市中へ引いて行けば、見知った者から、
 馬を盗んだのかと疑われぬとも限らない。あっさり、ここで売ってしまおう」
 と決めた。

「だがこのようなところで、馬などを用いるだろうか?」
 と、ひとまず下馬して、屋敷へ近づくと、
「もし、馬を買いませんか」
 と尋ねてみた。

 すると、折しも中では、
「馬があれば」
 と思っていたところだったので、この馬を一目見るや、
「どうしよう、どうしよう」
 と騒ぎ回り、
「今は馬のかわりに取らせる絹が無いが、
 鳥羽の地にある田やそこの米とは代えてもらえまいか」
 と言う。

 青侍は、
「いやいや、絹よりそれが第一だぞ」
 と思いつつも、
「絹や銭であれば、すぐの役に立つ。
 わしは旅の途中なれば、田など代わりにもらってもどうしようかとも思うが、
 馬が必要のご様子であれば、ただ、仰せに従いましょう」
 と、馬を引き渡すと、主人は馬へ乗り、走らせたところ、
「まさに、思うがままの走りだ」
 と大いに喜んで、鳥羽近くの田んぼ三丁、さらに稲少しと米などをあたえた。

 さらに家まで、青侍に預けると、
「わしがもし命あって、京都へ戻ったときは、この屋敷をわしに返すように。
 だがわしが京へ戻らぬ限りは、おまえがここへ居てくれ。
 それで万が一我が命絶えて、亡くなってしまったなら、おまえの家として住んでくれ。
 わしには子もおらねば、とかく申す人も無かろう」
 といい、やがて遠国へと旅立っていった。

 そして青侍は、この屋敷へ住むようになり、取り置きの米や稲があるものだから、
 一人身ではあったが、食物があるため近郷その辺の下人どもがやって来る。
 そうして、彼らを使いつつ、次第に住み慣れていった。

 時は二月ごろのことであって、青侍は、
 手に入れた田を、半ばを人に作らせて、半ばは自分のものとして作らせた。
 人がつくるところは当然良く実ったが、
 自分の分として作らせたところはことのほか多く実り、稲を多く刈り置くことができた。

 これを運のつきはじめにして、後には風が吹き募るようにして徳がついて、
 青侍は、たいへんな財産家となった。
 結局、屋敷の主人からはその後の便りが無くなったため、
 青侍が家屋敷も我が物として、やがて子孫など出来、
 一族ことのほかに栄えたと伝わっている。




原文
長谷寺参籠男、預利生事(つづき)

道づらなる人の家にとゞまりて、明ぬれば鳥とともに起きて行程に、日さしあがりて辰の時ばかりに、えもいはず良き馬に乗りたる人、此馬を愛しつゝ、道も行きやらず、ふるまはするほどに、「まことにえもいはぬ馬かな。これをぞ千貫がけなどはいふにやあらん」と見るほどに、此馬にはかにたうれて、ただ死にに死ぬれば、主、我にもあらぬけしきにて、下りて立ゐたり。手まどひして、従者どもも、鞍下ろしなどして、「いかがせんずる」といへども、かひなく死にはてぬれば、手を打ち、あさましがり、泣ぬばかりに思ひたれど、すべき方なくて、あやしの馬のあるに乗ぬ。
「かくてここにありとも、すべきやうなし。我等は去なん。これ、ともかくもして引き隠せ」とて、下種男を一人とどめて、去ぬれば、此男見て、「此馬、わが馬にならんとて死ぬるにこそあんめれ。藁一筋柑子三になりぬ。柑子三が布三匹になりたり。此布、馬になるべきなめり」と思て、歩み寄りて、此下種男にいふやう、「こは、いかなりつる馬ぞ」と問ひければ、「睦奥国よりえさせ給へる馬なり。よろづの人のほしがりて、あたいも限らず買んと申つるをも惜しみて、放ち給はずして、今日かく死ぬれば、そのあたい、少分をもとらせ給はずなりぬ。おのれも、皮をだにはがばやと思へど、旅にてはいかがすべきと思て、まもり立て侍なり」といひければ、「その事也。いみじき御馬かなと見侍りつるに、はかなくかく死ぬる事、命ある物はあさましき事也。まことに、旅にては、皮はぎ給たりとも、え干し給はじ。おのれは此辺に侍れば、皮はぎてつかひ侍らん。得させておはしね」とて、此布を一匹とらせたれば、男、思はずなる所得したりと思て、思ひもぞかへすとや思ふらん、布をとるままに、見だにもかへらず走り去ぬ。
男、よくやりはてて後、手かきあらひて、長谷の御方のむかひて、「此馬、生けて給はらん」と念じゐたる程に、この馬、目を見あくるままに、頭をもたげて、起きんとしければ、やはら手をかけて起こしぬ。うれしき事限なし。「をくれて来る人もぞある。又、ありつる男もぞ来る」など、あやうくおぼえければ、やうやうかくれの方に引入て、時移るまでやすめて、もとのやうに心地もなりにければ、人のもとに引もて行て、その布一匹して、轡やあやしの鞍にかへて馬乗ぬ。
京ざまに上る程に、宇治わたりにて日暮れにければ、その夜は人のもとにとまりて、今一匹の布して、馬の草、わが食物などにかへて、その夜はとまりて、つとめていととく、京ざまにのぼりければ、九条わたりなる人の家に、物へ行かんずるやうにて、立さはぐ所あり。「此馬、京に率て行たらんに、見知りたる人ありて、盗みたるかなどいはれんもよしなし。やはら、これを売てばや」と思て、「かやうの所に、馬など用なる物ぞかし」とて下り立て、寄りて、「もし馬などや買せ給ふ」と問ひければ、「馬がな」と思けるほどにて、此馬を見て、「いかゞせん」とさはぎて、「只今、かはり絹などはなきを、この鳥羽の田や米などにはかへてんや」といひければ、「中々、絹よりは第一の事也」と思て、「絹や銭などこそ用には侍れ。おのれは旅なれば、田ならば何にかはせんずると思給ふれど、馬の御用あるべくは、たゞ仰にこそしたがはめ」といへば、此馬に乗り心み、馳せなどして、「たゞ、思つるさま也」といひて、此鳥羽の近き田三町、稲すこし、米などとらせて、やがて此家をあづけて、「おのれ、もし命ありて帰のぼりたらば、その時、返し得させ給へ。のぼらざらんかぎりは、かくて居給へれ。もし又、命たえて、なくもなりなば、やがてわが家にして居給へ。子も侍らねば、とかく申人もよも侍らじ」といひて、あづけて、やがて下りにければ、その家に入居て、みたりける。米、稲など取をきて、たゞひとりなりけれど、食物ありければ、かたはら、そのへんなりける下種などいできて、つかはれなどして、たゞありつきに、居つきにけり。
二月斗の事なりければ、その得たりける田を、半らか人に作らせ、今半らは我料に作らせたりけるが、人の方のもよけれども、それは世の常にて、おのれが分とて作たるは、ことのほか多くいできたりければ、稲おほく刈をきて、それよりうちはじめ、風の吹つくるやうに徳つきて、いみじき徳人にてぞありける。その家あるじも、音せずなりにければ、其家も我物にして、子孫などいできて、ことのほかに栄へたりけるとか。



(渚の独り言)

長かったー!
有名な、わらしべ長者の話。青侍が次第に調子に乗って行くのが、何か、忌々しかったです。
昔話の「わらしべ長者」の場合、男は「正直者で、働き者だだったけど運が無くて……」という感じだと記憶してますが、宇治拾遺では、「御利益が無きゃここで死んでやる!」と観音様を脅したり、馬をやや強引に奪ったり、屋敷を乗っ取るのも恩着せがましかったりと、けっこう小人物に描かれていますね。。。

布(絹):
1匹は、大人の着物と羽織を同時に作るための大きさで、=2反、らしいです。
1匹、2匹と数えるのは、その昔、支那大陸において、絹1匹分が、馬1頭に相当したからだそうです。(だから死んだ馬一頭と布一匹の交換に、下人が喜んだのですね)

ちなみに1反は「大人ひとりの着物分で、だいたい10メートル」らしいですが、「絹の一反は23メートルくらい」と言っているところもありました。現代の化繊などでは50メートルで1反らしいです。
長さはともかく、この話から、布が貨幣がわりに流通していたことが分るので、興味深いです。


 

See You Again  by-nagisa

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