巻十一 (130)蔵人得業、猿沢の池の龍の事


17506501650382305226022779337099.jpg






巻十一 (130)蔵人得業、猿沢の池の龍の事


 これも今は昔、
 奈良の興福寺に蔵人得業(とくごう)の、惠印という僧侶がいた。

 鼻が大きく赤かったので、
「大鼻の蔵人得業」
 と呼ばれていたが、そのうちに長たらしいからと、
「鼻蔵人」
 と言われるようになり、さらに後には、
「鼻蔵、はなくら」
 とだけ言われていた。

 さて、その鼻蔵が、若いとき。
 猿沢池の端に、

『なん月なん日に、この池より龍が天へ登ろうとするものなり』

 と記された札が立ったので、通りかかりの老若や、然るべき人々まで足を止めて、
「これは是非とも見なければ」
 と、ささやき合った。

 だがそれを見ながら、実はこの鼻蔵人、
「おかしな話だ。わしが書いたに過ぎぬことなのに、人々が騒ぎ合っておる。馬鹿な奴らめ」
 と、心中でおかしく思っていた。
 とはいえ、だまし続けてやろうと、そ知らぬ顔で過しているうち、
 さて、その月になった。

 すでに噂は広く大和、河内、和泉、摂津の者にまで伝わっていて、
 大勢の人が、猿沢の池へ集り始めたので、
 惠印は、
「しかし、どうしてここまで集るのだろう。
 これは、何かが本当に起こるのではないか。不可思議なことだ」
 と思いつつ、さらに何食わぬ顔で日を過して、
 当日を迎えれば、人々が道も通れぬほど集まり、ひしめくありさま。

 やがて時刻となれば、惠印は、
「もはやこれはただごとではない。
 自分のしたことだが、よくよくのことがあるに違いない」
 と思い込み、
「実に、本当に起こるかもしれない。行って、確かめねば」
 と、頭を布で包んで出かけてみれば、
 池の周りは、もう近づくこともできないほどになっている。

 それで興福寺南大門の壇の上へのぼり、そこから池を見下ろして、
 今にも龍が登るか、登るかと待っていたが――何で、登るわけがない。
 日も暮れた。

 暗くなり、結局、起こるべきことではないからすごすごと帰る途中、
 盲人が一人、橋の一つを渡りかけていた。
 惠印が、
「あな、危ないめくらだ」
 と言えば、盲人はすばやく、
「違う、鼻くらだ」
 と言い返した。
 鼻先が見えないだけだというのだ。

 この盲人、惠印が「鼻蔵」と呼ばれていることを知らなかったはずだが、
 めくらと呼ばれたことで即座に、
「違う、鼻くらだ」
 と、当の鼻蔵法師へ言ったということは、
 また一つのおかしなことではあるまいか。




原文
蔵人得業猿沢の池の龍の事

これも今は昔、奈良に蔵人得業恵印(ゑいん)といふ僧ありけり。鼻大きにて、赤かりければ、「大鼻の蔵人得業」といひけるを、後ざまには、ことながしとて、「鼻蔵人」とぞいひける。なほ後々には、「鼻蔵(はなくら)鼻蔵」とのみいひけり。
それが若かりける時に、猿沢の池の端(はた)に、「その月のその日、この池より龍登らんずるなり」といふ札を立てけるを、往来(ゆきき)の者、若き老いたる、さるべき人々、「ゆかしき事かな」と、ささめき合ひたり。この鼻蔵人、「をかしき事かな。我がしたる事を、人々騒ぎ合ひたり。をこの事かな」と、心中におかしく思へども、すかしふせんとて、空知らずして過ぎ行く程に、その月になりぬ。大方大和、河内、和泉、摂津国の者まで聞き伝へて、集ひ合ひたり。恵印、「いかにかくは集る。何かあらんやうのあるにこそ。怪しき事かな」と思へども、さりげなくて過ぎ行く程に、すでにその日になりぬれば、道もさり敢へず、ひしめき集る。
その時になりて、この恵印思ふやう、ただごとにもあらじ。我がしたる事なれども、やうのあるにこそと思ひければ、「この事さもあらんずらん。行きて見ん」と思ひて頭(かしら)つつみて行く。大方近う寄りつくべきにもあらず。興福寺南大門の壇の上に登り立ちて、今や龍の登るか登るかと待ちたれども、何の登らんぞ。日も入りぬ。
暗々(くらぐら)になりて、さりとては、かくてあるべきならねば、帰りける道に、一つ橋に、盲(めくら)が渡り合ひたりけるを、この恵印、「あな、あぶなのめくらや」といひたりけるを、盲とりもあへず、「あらじ。鼻くらなり」いひたりける。この恵印を、鼻蔵といふも知らざりけれども、めくらといふにつきて、「あらじ。鼻蔵なり」といひたるが、鼻蔵に言ひ合せたるが、をかしき事の一つなりとか。



(渚の独り言)

芥川龍之介「龍」の原話ということで、教科書の定番みたいです。
でも「めくらめくら」と放送禁止用語が出てくることもあって、教科書では、最後が削除されるようです。ひどい学校教育ですね。
個人的には、イベントを見ようと、数日前から池の周りに人が集っていることが興味深かったです。場所取りというか、暇人というか。

得業:
とくごう。ある程度の修行を積んだ僧侶のことです。
そして「蔵人」は、天皇家の秘書官的存在のこと、と出るのですが、この惠印という「蔵人得業」がどういう身分なのか、微妙にわかりません。
「本当に天皇家の秘書官をしている得業」か、「昔蔵人だった得業」あるいは、「興福寺の蔵(役所)勤めの得業」か、そのどれかだと思います。個人的には、3つ目っぽい気がしますが分りません。

猿沢の池:
興福寺の南にある、今でも撮影スポット的な池。南都八景のひとつ。生き物を逃がしてやる放生池として、天平年間(749)に造られた人口の池だそうです。

ちなみに:
この宇治拾遺では、「龍なんて現れるわけがない」としていますが、芥川「龍」では最後、見事に龍が現れます。さらに言うと、室町時代・世阿弥のつくった「春日龍神」という謡曲(能)でも、龍が出現します。
……とある僧侶が、修行のため天竺へ渡ろうとしたところ、
「奈良の春日山(興福寺の管理地)が霊山なので、わざわざ旅に出なくても良いよ」
とお告げがあり、さらに八大竜王が幾百の眷族を連れて釈迦の一代記を見せるので、
坊さんは、
「じゃあ、もういいや」
と旅行をとりやめる、そして竜神たちは猿沢の池へ飛び入って消え失せる――という筋です。

鼻くら:
微妙に意味不明ですが、「めくら」と呼ばれて、こう返しているあたり、「違う、自分の鼻が見えないだけだ!」という意味だと思いました。この返事からすると、この時代でも「めくら」と呼ばれるのは不快だったのかと思われます。







See You Again  by-nagisa

この記事へのコメント