巻十二 (149)貫之、歌の事


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巻十二 (149)貫之、歌の事

 
 今は昔、
 紀貫之が土佐守に任じられ、任国へ下ってしばらく経って、
 勤めを果たした年のこと。

 貫之はその地で、七八歳になる、たいへんかわいらしい子供を、
 この上もなく愛おしみ、慈しんでいた。

 ところがこの子が急に病気になり、死んでしまったため、
 貫之は泣き惑い、病気にならんばかりに子供を思っているうち、月日は経って、
 こうしてばかりもいられない、上京しなくてはと思ったものの、
 あの子がここ何をして、どうして――と思い出されるにつれて、何とも哀しく、
 それで柱に書き付けたのは、

  都へと思ふにつけて悲しきは帰らぬ人のあればなりけり
  ――都へ帰ろうとして悲しく思われるのは、帰らぬ人のいるためです

 そのように書き付けた歌は、今も残っているという。




原文
貫之歌の事

今は昔、貫之が土佐守になりて、下て有ける程に、任果の年、七八斗の子の、えもいはずをかしげなるを、限なくかなしうしけるが、とかく煩て、うせにければ、泣まどひて、病づく斗思こがるゝ程に、月此になりぬれば、かくてのみ有べき事かは、上なんと思に、皃(ちご)の爰にて、何と有しはやなど、思出られて、いみじうかなしかりければ、柱に書つけける
 都へと思につけて悲きは帰らぬ人のあればなりけり
とかきつけたりける歌なん、いままでありける。


(渚の独り言)

歌が続きます。しんみりと。
この歌は現代語訳が不要だったかもしれません。

紀貫之
言わずと知れた「土佐日記」の作者。
醍醐天皇の命で、勅撰の古今和歌集の選者になり、序文を書いたりしました。時代的には、菅原道真が左遷された辺から、平将門が暴れ回っていた頃に活躍します。
ちなみにこれは、そのまま土佐日記に出ている話です。そして土佐日記によれば、亡くなった子は、女の子です。

廿七日、大津より浦戸をさして漕ぎ出づ。かくあるうちに京にて生れたりし女子こゝにて俄にうせにしかば、この頃の出立いそぎを見れど何事もえいはず。京へ歸るに女子のなきのみぞ悲しび戀ふる。ある人々もえ堪へず。この間にある人のかきて出せる歌、
 都へとおもふもものゝかなしきはかへらぬ人のあればなりけり
又、或時には、
 あるものと忘れつゝなほなき人をいづらと問ふぞ悲しかりける






 

See You Again  by_nagisa

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