巻十二 (153)鄭太尉の事


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巻十二 (153)鄭太尉の事

 
 今は昔、親孝行をする者があった。
 朝夕に木樵をすることで親を養っており、
 彼の親孝行の心は、天にも届いていた。

 たとえば、梶も無い舟に乗って向いの島へ渡るとき、
 朝には南の風が吹いて、北にある島へと舟を吹き寄せ、
 夕暮れに、また彼が舟に木を乗せれば、北の風が吹いて、家へ吹き寄せるのだった。

 そうして数年を経るうち、男の評判は王の耳にも届き、
 彼を大臣に任じて、勤めさせることになった。

 男の名は、鄭太尉(ていたいい)と言う。




原文
鄭太尉の事

今は昔、親に孝(けう)する者ありけり。朝夕に木をこりて親を養ふ。孝養(けうやう)の心空に知られぬ。梶(かぢ)もなき舟に乗りて、向ひの嶋に行くに、 朝には南の風吹きて、北の嶋に吹きつけつ。夕にはまた、舟に木をこりて入れて居たれば、北の風吹きて家に吹きつけつ。かくのごとくする程に、年比(としご ろ)になりて、おほやけに聞(きこ)し召して、大臣になして召し使はる。その名を鄭太尉とぞいひける。


(渚の独り言)

散漫として分りにくいですが、「親孝行のおかげで、鄭さんが舟に乗るたびに、すてきな風が吹いていた。後には出世した」という話です。

鄭太尉:
ていたいい。鄭弘巨君。
会稽山陰の人。後漢書に登場するそうです。
(日本語版Wikipediaに書かれている、前漢の鄭弘とは別人)

太尉:
たいい。今の軍隊で使われるキャプテン「大尉」ではなくて、太い方です。
古代支那の官職で、軍事担当の宰相。国防大臣とか、陸軍大臣といった要職ですね。

鄭さんが太尉に任じられたのは、後漢の元和元年(西暦84年)のことで、時の皇帝は、後漢三代の章帝。
ただし、太尉に任じられた二年後には、機密漏洩の廉で免職(そのまま病死)しています。

ちなみに雅楽の朗詠に、菅原文時作の、この鄭さんを歌ったものがあるそうです。

春過夏闌 袁司徒之家雪応路逹 旦南暮北 鄭大尉之渓風被人知
 春過ぎ夏闌ぬ 袁司徒が家の雪路達しぬらし 朝には南 暮には北 
 鄭大尉が渓の風 人に知られたり

この風は、「鄭大尉之谿風」といって、有名らしく、
「後漢の鄭弘、薪を若邪渓に採り、神人(仙人)に箭(矢)を還した報いにより、谿風の便を得て仕事を楽にした故事」
のことを指すのだそうです。

ちなみに、彼が木樵をした渓谷、若邪渓は、
浙江省紹興県の東南の若邪(一作耶)山のふもとの渓谷のことかもしれません。
違うかも知れません。








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