第十三夜~陰摩羅鬼の棘···前夜


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第十三夜~陰摩羅鬼の棘···前夜  
               (おんもらき)


その女は雑貨店から広い通りに出てきた。眉間にしわが寄って、口が曲がっていた。小声で
「ふん、失礼な店員だわ。あんな店員を雇ってるなんて・・・そのうち潰れるわ」
とブツブツ言っていた。
「あれ?、先輩ですよね。あぁ、先輩だ。お久しぶりです」
その女に声をかける者がいた。女の片方の眉がつり上がった。
「先輩が会社辞めてからですから、1年ぶりくらいですか?。元気そうですね」
女は話しかけてきた後輩らしき女の顔を眺めた。・・・・ふん、相変わらず、コイツは空気が読めない・・・女はそんなことを思いながら、眉間にしわを寄せたまま言った。
「元気そうじゃない。会社、うまくいってるんだ」
「えぇ、なんとか廻ってます。なかなか大変ですけどね」
・・・ふん、そうだろう、お前らの能力じゃねぇ・・・と、女は思ったが
「あら、よかったわね。じゃあ、私は急ぐから。ちょっと忙しいのよね」
と、後輩をよけて先へ行こうとした。が、次の言葉がその女の足をとめた。
「先輩、相変わらずですね。ピリピリしてて・・・忙しいんですね」
その言葉の中に侮蔑が混じっているのを女は聞き逃さなかった。・・・・やっぱり、コイツラは私をバカにしてるんだ。どいつもこいつも偉そうな顔をして・・・・・。

その女が会社を辞めたのはほぼ1年前のことだった。
「あんな小娘がチーフですって?。課長は、この課を潰す気ですか?」
「なんでだ?。彼女は最近、ずいぶん変わっただろ。周囲の意見も聞くようになったし、穏やかになった。彼女のほかにいい人材は・・・今のところいないしね」
課長の顔は、明らかにお前じゃダメだ、と語っていたが、女は食い下がった。
「あんな何もわかっていないような人に、チームをまとめられるっていうんですか?」
「そうだなぁ、少なくとも、いつも眉間にしわよ寄せ、口を曲げて不服そうな顔をしている・・・・そんな人よりは使えるよな」
課長のその言葉に女はキレた。
「もういいです。あんな小娘の下にいるなんて、私には耐えられません。辞めさせて頂きます」
その声に周囲にいた者たちは、みな首をすくめ関わらないようにしていた。
「そうか・・・残念だなぁ、それは。あぁ、辞表はちゃんと出してくれよ」
女は怒りに唇を震わせていたが、何も言わずその場を去っていった。肩をいからせ、腕を大きく振り、ドスドスと足音を立て、ブツブツと呪いの言葉・・・・こんな部署、絶対つぶれるわ、こんなバカなヤツらばかりの会社なんてこっちからオサラバだわ。うまくいくわけがない。みんな不幸になるんだわ。いい気味だ・・・・を吐きながら。

「あの時の先輩も怖かったですけど、今も・・・キャリアウーマンって感じですね。あっ、いけない。会社に帰らなきゃ」
・・・・何がキャリアウーマンだ、嫌みなヤツだ・・・・ふん、もういい年なのに、カワイコぶりやがって、気持ちの悪い・・・・などと女は思ったが、口には出さない。
「そうよ、私、忙しいの。こんなところで油売ってる暇はないのよ。あっ、そうそう、あの部署、うまくいってるの?。あなたまだチーフ?」
「えぇ、お陰さまでうまくやってます。ちょっと慣れ合い過ぎかなっていうところはありますけど、実績も上がってますよ。私みたいな頼りないチーフだから、みんなが支えてくれてます」
「ふ~ん、相変わらず、ぬるいのね。私にはそういう、ぬるま湯は、とても無理だわ。じゃあ」
女は薄笑いを浮かべ、その場を立ち去ろうとした。
「先輩も、もう少し穏やかになれば、いいところいっぱいあるのに・・・」
「何それ?、どういう意味?。アンタ、何が言いたいの?」
女は後輩を睨みつけ、腰に手を当てて迫った。
「どういう意味、何を偉そうにアンタ言ってるの?」
「い、いえ、その・・・」
あちゃー聞こえちゃったか・・・とつぶやいたその声も聞こえていた。
「嫌な女ね。ハッキリ言ったらどうなの。ふざけないでよ。何が聞こえちゃったか、よ。聞こえるように言ったんでしょ」
「えー、それは誤解です。誤解ですよ・・・・えっと・・・」
「何よ、早く言いなさいよ。そんなだから、アンタダメなのよ。アンタの下にいるものは不幸だわ。さぁ、早くハッキリ言いなさいよ」
「えっと・・・その、私も・・・以前はピリピリしてたけど・・・その変ったんです・・・・そしたら、周囲の人とうまくいくようになって・・・」
「何よそれ、私が周囲の者とうまくいっていないとでもいうの?。何も知らないくせに!。大きなお世話よ。バカにするのも程がわるわ」
女は後輩と名乗る女を一睨みすると、薄笑いを浮かべ背を向け、その場を去りかけた。後輩の女はその後ろ姿に
「Bouz Barに行くといいですよ。きっと、何かが変ります」
と声をかけた。
「この通りの北側の裏通りです。目立たないけど、探せばわかります。ぜひ、行ってみてください」
女は返事もせず、肩をいからせ、腕を大きく振り、ドスドスと歩いて去っていった。残された女は、その後ろ姿が消えるまで見つめていた。

「ちっ、なんで私がこんなところに・・・・」
女は薄汚れたドアの前に立っていた。ドアには「Bouz Bar」と、うっすらと書いてある。
「やる気あるのか、ここの店主は?。もっとはっきり書きなおすべきだわ。これじゃあ、よく見なきゃ誰もわからないじゃないの。なんて不親切な店なのかしら」
女はドアを睨みつけながら、ブツブツ文句を垂れていた。
ひと月ほど前、嫌な女にあった。以前勤めていた会社の後輩である。その後輩が自分を出し抜いて、プロジェクトチームのチーフになったことをきっかけに、女は会社を辞めたのだった。
「どいつもこいつも無能なくせに・・・・」
その後輩の女が別れ際に言った言葉・・・・「Bouz Barに行けば、何かが変わる」・・・・が、どうにも忘れられなかった。気にしないでおこうと思うと、余計に気にかかってしまうのだ。女は調べてみた。Bouz Barについて、情報を集めたのだ。すると、どうもこのBarでは、不思議な飲み物を出すらしく、それを飲んだ者は、確かに何かが変わるらしいのだ。誰もが、それまでの自分ではなくなり、未来が開けてくる・・・というのだ。そんなバカなことはない、と女は思った。そう簡単に人は変われるものではない。飲み物を飲んだだけで、人が変われるならば、そんな手軽なことはない。そんな飲み物を出す店があるなら、その店はもっと話題になっているはずである。
が、その店にはいわゆる因縁話がついていた。どうやら、詳しい話をすると、呪われるらしい。実際に一人の男が、このBouz Barの飲み物に関し詳しく話そうとしたら、倒れてしまったというのだ。しかも、それ以来、しゃべることができなくなってしまった。女はこれもウソくさい話だと思っていた。それでは・・・よくわからないが・・・・傷害罪だろう、などとも思う。だいたいそんな呪いなんて、いまどき・・・・。女はそう思っていた。
「今、確信したわ。真実はそんなものよ、ウソばっかりだわ」
ドアの前で女は力強く言った。
「ここの店主は知らないのよ。街の噂をね。こんなうらぶれた店が、噂になっているなんて知らないのよ。一種の都市伝説ね。こんな汚いドアだから、そんな噂が立つのよ。注意してやらなきゃいけないわ。迷惑な話だからね」
女はそう言ってドアを開けたのだった。

「いらっしゃいませ、ようこそBouz Barへ。どうぞお好きな席にお座りください」
店の中は狭かった。右手にL字のカウンターがあるだけ。左手の奥には、古臭いジュークボックスが置いてあった。カウンターの中には、陰気臭そうな坊主頭の・・・バーテンダーだろうか・・・が、一人いるだけだった。カウンターの奥に太った男が一人座っていた。
「あっ、お客さんやね。それにしてもマスターすごいわぁ。なんでお客さんが来るのわかるん?。いや、ホンマ、マスターの言うとおり、はよぉ帰ればよかったわぁ。すんまへんなぁ、迷惑掛けて」
「いえいえ、また、ゆっくりと・・・・」
マスターなのか、この坊主頭の陰気臭い男が。しかし、この太った男、妙なことを言っていた。客が来るのがわかる、とかなんとか・・・。女はその場で突っ立ったままだった。その前を太った男が「すんまへんな」と言いながら、ドアの方に向かった。女の前を横切るとき、男は小声で言った。
「あんさんも、素直にマスターの言うこと聞いたほうがええでぇー」
何なんだ、この男は。偉そうに・・・大きなお世話だ・・・女はそう思った。思ったことがそのまま声になって出ていた。
「何よあんた、初対面の者に向かって、何よそれ。失礼な人ですね。私が素直じゃないっていうの?」
「あ、いや~、こりゃあ、えらいすんまへんなぁ。そういう意味やのうて・・・。謝ります、すんまへんでしたぁ」
男はペコペコ頭を下げながら、そそくさとドアを開け、外へと出ていってしまった。
「まったく、失礼な人だわ。あんな客、入れないほうがいいんじゃありません?」
女は立ったまま、マスターと呼ばれる陰気臭い男に言った。
「ご迷惑をおかけいたしました。あの男にも悪気はないのですよ。申し訳ございません」
マスターの声は、妙に冷たかった。まるで感情がこもってないような、そんな印象を女に与えた。女の眉間にしわが寄り、口が曲がった。
「どうぞ、おかけください。お気に召さないようでしたら、お引き取り頂いて結構です」
女はマスターを一睨みする。
「ふん、何よその言い方。客も失礼なら、マスターも失礼な言い方をするんですね」
「お気に障りましたか?。それは失礼いたしました。で、どうされますか?」
ちっとも失礼なことをしたとは思ってないないような態度に女はムカついた。
「なによ、その態度。そんな態度だから、この店は流行らないのよ。だいたい、あのドアよ。店の名前が消えかかってるなんて、最低よ」
「あぁ、そうですか。それは御親切にどうも・・・・。で、どうされるんですか?。お掛けになるのか、お帰りになるのか」
マスターのそっけない態度に女は苛立ったが、さっきから立ちっぱなしの自分の滑稽な姿にも苛立った。女は、一瞬迷ったが
「そ、そうね・・・・ちょっと気にかかることがあるから、座るわ」
と言って、マスターの前の席に腰を下ろした。女が座るのを見計らって、マスターは静かに言った。
「ご注文は何になさいますか・・・・・あぁ、メニューは、そこにあります」
女はメニューを取って眺めてみた。そこには、どこのBarにでもある飲み物の名前が書いてあった。
「ふん、やっぱりね。ウソばっかり。他の店と同じような飲み物ばかりじゃない」
メニューを舐めるようにして見ていた女は、そう言った。
「Barですから、どこも似たようなものです」
マスターの言葉が耳に届いたのかどうか、女はまだメニューを見ていた。裏返して見たり、斜めに見たりして・・・・・。マスターは、そんな女に小さく溜息をついた。
「ご注文は?」
「ウソなんでしょ?」
女は何も注文をせず、ニヤッと笑ってそういった。口の端が上がっている。
「ウソなんでしょ、不思議な飲み物があるって話。あぁ、そうか、そういう噂をあなたが流しているのね?。いくら流行らない店だからと言って、そんな噂を流すなんて・・・・それは詐欺だわ」
女は、勝ち誇ったような顔をしていた。
「だいたいそんなものよ、都市伝説なんて。あぁ、来るんじゃなかった。無駄骨だったわ。まあいいわ、そうねぇ、ジンジャエールでも貰おうかしら」
マスターは、かしこまりました、というと、氷の入ったグラスとジンジャエールの瓶をカウンターにおいた。女はグラスにジンジャエールを注ぐと、一人しゃべり始めた。
「だいたい、こんな陰気臭い店は流行らないのよ。ドアからして陰気臭い。もっと明るくしなきゃね。それにいくら流行らないからと言って、あれはないわ。あんな噂を流すなんて、サイテーね。商売としてどうかと思うわ。あんな噂で客が来ると思ってるのかしら。もし、そう思ってるなら、認識が甘いわ。商売をナメテいるんじゃないのかしら。わかっていらっしゃる?、あなたのことを言ってるのよ」
女はそういうと、口の端を器用に曲げて、マスターを睨んだ。眉間にしわがより始めている。
「あの・・・・、先ほどから噂とかなんとか言ってますが、いったい何のことでしょうか?」
「ふん、そうやってとぼけるんだ。とぼけて逃げるのね」
「いや、とぼけていません、本当に何のことなのか、よくわからないのですが」
「あら、あなた、知らないの?。そんなはずはないわよねぇ。ふん、どうしてもとぼけるっていうなら、教えてやるわよ。この店には、不思議な飲み物があって、その飲み物を飲むと、悩みごとが解決したり、新しい人生に踏み出せるっていう噂よ。あなたが流しているんでしょ?」
「ほう、そのような噂が流れているのですか。それはそれは・・・・・」
「なにが、それはそれはよ、とぼけちゃって。自分で流しているんでしょ、その噂」
マスターは、下を向いた。肩が震えている。女は勝ち誇ったように「泣けば許されると思ってるのかしら」と小声で言った。が、次の瞬間、女は目をむいていた。
「あは、あははは。す、すみません。もうおかしくって。あはははは」
マスターは笑っていたのだ。
「な、何よ、笑うなんて失礼じゃない!」
女は立ちあがって叫んだ。マスターは、すみません、すみません、と笑ないながら繰り返し、
「あなたは、誤解されている。その・・・・何ていいますか、まいったなぁ、これは・・・・」
「ほらみなさい、困っている。やっぱりウソなんでしょ。その不思議な飲み物の話は」
女は腰に手を当て、勝ち誇ったような態度でそう言った。
「いえ、ウソではありません。ちゃんとあります。お客さん、どなたかの紹介じゃないんですね。・・・・まあ、確かに不思議な飲み物ですね、それはありますよ。ただし、そのあとの話が、ちょっと尾ひれがついているというか、なんというか・・・・。確かに、その飲み物を注文された方の中には、悩みごとが解決したり、人生が変わった方もいます・・・・確かにね」
一瞬、マスターの目が光った。それと同時に、先ほどまで笑っていたマスターの顔が急に暗くなった。女はお構いなしにまくし立てた。
「ど、どういうことよ。だって、メニューに載ってないじゃないの。いい加減なこと言わないでよね」
マスターは、もう笑っていなかった。いつもの暗い目、陰気臭い表情に戻っていた。小さくため息をつくと、
「いい加減じゃありません。メニューに載せてないだけです。・・・それは、いわゆる裏メニューです。あぁ、勘違いしないでください。なにももったいぶっているわけじゃありません。事情があって・・・・まあいいのですが、裏メニューを注文された方にのみ、お出ししているんです」
「事情?。ふん、どうせ、そういうことにして、もったいつけているんでしょ。見え見えよ。結局はいかさまなのよね。いい感じの店なのに、そういう胡散臭いことをしてるなんて、げんなりだわ」
「いい感じの店と言っていただきましてありがとうございます。確かに、胡散臭いと言えば・・・・胡散臭いです。で、それが何か?」
「何かって・・・そ、そんなインチキ」
「インチキではありませんよ。なんでしたら、お試しになりますか?」
立ったまま、まくし立てていた女にマスターは顔を近付けた。
「如何なさいますか、お客さん」
それは悪魔が囁いたような声だった。

「イ、インチキじゃないって・・・・。そ、そうね、た、試してもいいわね。でも、ウソだったらその時は・・・」
「料金は頂きません。そして、訴えるなり何なりなされても結構です」
女はマスターを鋭く睨みつけると、座り直した。眉間にしわが寄り、口の端が片方下に曲がっていた。
「初めにお断りしておきます。裏メニューをご注文されるには、ルールがあります。そのルールを守っていただきます。よろしいですか?」
「ルールって何よ。どんなルールかわからないのに、守れるかどうかなんてわからないわよ」
「それもそうですね。これからお話いたします。ルールはいたって簡単です。お客様は裏メニューを注文されます。そのあとに起こることを一切口外しないでください。この店に裏メニューがあることは、お話しても構いません。が、その裏メニューがどのように出てくるかは、口にしないでいただきたい。もし、そのことを話すと・・・」
「呪いがかかるんでしょ。ウソくさい話だわ」
女はそっくりかえって、バカにしたように言った。
「信じる信じないは、ご自由です。これは・・・・そうですね、忠告です。実際、この忠告に従わず、不幸なことがおきた方もいらっしゃいます。そうですね、そういうルールがある、ということだけ承知してください。ルールを守る守らないは、お客様の自由です」
マスターはそう言って、女を突き放すような眼でながめた。女は視線をそらす。そして、考え込んだ。
噂は本当だったんだ・・・。ここで起きたことをしゃべってしまったバカな人間がいて、本当に不幸な目にあったという噂。あれは本当だったんだ・・・いいえ、この男がウソをついているかもしれない・・・女は怯みかけたが、気持ちを立て直した。そうよ、この男、私をビビらせているだけだわ。こんなヤツ、許せない・・・・、何もかも許せないわ。こんな店の話をしたあの女も許せない。あいつも、こいつも、みんな私をバカにして、見下して・・・・許せない・・・・。
「ふん、わかったわよ。そんなことはどうでもいいわ。さっさと裏メニューを見せないよ」
「特に裏メニューというような、お見せするメニュー表はありません。お客様にお見せするのはこれだけです」
マスターは、そういって木札のようなものを出してきた。
「なによ、これ。この小汚いものはなに?」
女の口のはしが曲がる。
「これが裏メニューです。それを握って10数えてください。そうすれば、お客様に応じたカクテルの名前がその木札に出てきます」
女はカウンターに置かれた木札をしばらく見つめていたが、ふっと笑いだした。
「はっ、何を言うかと思えば、手品ね。な~んだ、そういうことか。なるほどね、さっき口止めしたのはネタをバラすなってことね。くっだらない」
あぁ~あ、くだらない・・・と言いながら女は笑っていた。
「おやめになりますか?。今ならまだ間に合いますが」
マスターは、女の悪態にも何の変化も見せず、静かにそう言った。その態度が女は気に入らなかった。
「試すわよ。何よ、その態度。いい加減に手品って見抜かれたことを白状すればいいのに。そっちがそういう態度をするなら、私が徹底的に追及してやるわよ」
「そうですか。では、その木札を手に取ってください」
マスターは、なぜか悲しそうな顔をしたのだった。そして、小声で「何が起きても・・・・まあ、自分で選んだ道ですからねぇ・・・」とぼそりと言ったのだった。女は、それが聞こえたのかどうか、マスターを睨みつけると、さっと木札を手にしたのだった。そして、数を数え始めた。
女が10数え終わると、木札が震え始めた。
「な、何よ、これっ」
女は木札をカウンターの上に放り投げた。気持ちの悪い・・・などとつぶやいている。マスターは黙って木札を見ていた。女も木札を睨みつけている。すると、そこに文字が浮かんできた。
「何よこれ、字が・・・・こ、凝った手品じゃない・・・・。気持ち悪いけど・・・」
「陰摩羅鬼(おんもらき)・・・・か。これはこれは、やっかいな・・・・」
そうつぶやくとマスターは、すっと女に背を向けた。棚にあるアルコール類などをいくつかとり、カクテルを作り始めた。女は無言でそれを見ていた。危ないことに関わったのかもしれない・・・女はそう思い始めていた。

マスターが振り返った。手には一つのグラスが握られている。
「これがあなたが注文された裏メニューのカクテル、陰魔羅鬼です。どうぞ」
マスターは、そういうとカクテルをカウンターの上に置き、女の前にすーっと押しやった。そのカクテルは、濁った泥のような色をしていた。それだけでなく、その濁った色の中に黒い渦が撒いていた。それはまるで、濁った沼の中に真っ黒な蛇が渦巻いているような、そんな不吉さをイメージさせるカクテルだった。
「ちょ、ちょっと、な、なによこれ・・・・。こんな気持ちの悪いものが飲めるわけないじゃない」
女はたじろぐ。
「いいえ、飲んでいただきます。裏メニューを注文したのはあなたです。もし、飲まないというのなら・・・・」
「何よ、何なのよ。いい加減にしてよ。女だからってバカにしてるでしょ。さっきから何よ。そんな顔をされたって、怖くはないわよ。もういいわ。帰ります。おいくら?」
「この、あなた特製のカクテルを飲まれないで帰る・・・・それはやめておいた方がいいと思います。できれば、飲んでいかれたほうがいいかと・・・・・」
「何よ、飲まないと何かあるっていうわけ?。それ、脅迫?。脅し?。まさか、私を酔わせて、何かするつもり?いかがわしいわよ、この店!。警察を呼ぶわよ!。いいこと、訴えてやるから、覚悟してなさい!」
女は立ち上がって、そう叫んだ。マスターは、悲しそうな顔をして、大きく溜息をついてから言った。
「飲まないのも結構。御自分の選択ですから。いいでしょう。しかし、何があっても知りません。未だかつて、この裏メニューのカクテルを注文されたにも関わらず、飲まなかったお客様はいらっしゃいません。・・・・そうですね、私も興味があります。そういうお客様が、この後どうなるのか」
マスターは、そういうとニッと笑ったのだった。その笑いは、不吉そのものだった。マスターはさらに続けた。
「ちなみに、何を訴えるのか知りませんが、何を訴えても誰も取り合わないでしょう。あなたは飲み物を注文した、私はそれに応じて飲み物を出した、あなたはそれが気に入らなかった、そして飲まずに帰った、料金は頂いていない・・・・。実際に行われていることは、それだけですから・・・・」
確かにそうなのだ。女は一口もカクテルを飲んでいない。見た目が気に入らないから帰ると言っているだけだ。マスターもそれを無理に引きとめてはいない。飲んだ方がいいと思う、と言っただけだ。
女は迷った。あれだけ威勢よく言い張った手前もある。偉そうなことを確かに自分は言った。言っておいて、見た目が悪いからというだけで、何も飲まずに帰っていいものか・・・。ましてや、この店のインチキも追求できない。それでは、自分が負けて帰るようなものだ。負けるのは悔しい。女は負けるのは大嫌いだった。そんなのは・・・許せない。
「負けるのは・・・・いいえ、負けてなんかいないわ。こっちから見限っただけよ。・・・・ふん、今に見てなさい。絶対、私の方が正しいのよ」
女はそう言うと、椅子に座り直した。カクテルを睨みつける。グラスを両手で握った。目を閉じ、一口カクテルを飲んだ。
「あっ、おいしい・・・」
思わず口からこぼれ出た言葉だった。女はカクテルを飲み続けた。やがて、グラスは空になった。
「ふん、見た目は悪いけど、味はいいわね。あなた、こんな美味しいカクテルを作れるなら、見栄えをもっとよくすれば、流行るんじゃない。そんなこと、ちょっと考えればわかるのに」
女はマスターをバカにしたような目で眺めた。
「何ていったかしら、このカクテルの名前。オン・・・・」
「オンモラキ、です。陰と多摩の摩、そして羅・・・で鬼と書きます。見た目は悪い・・・・当然です。陰摩羅鬼は、そのカクテルのように、濁った眼と、どす黒く歪んだ心を持っている妖怪ですからねぇ」
マスターの顔が女に近づいた。そのマスターの顔が二重になっていった。そして、そのままぼんやりとマスターの顔もカウンターも酒の飾ってある棚も・・・・闇の中に消えていったのだった。女はカウンターに突っ伏してしまった。

「なんですってぇ~、濁った眼とどす黒く歪んだ心を持っているですってぇ・・・・、それは私のことかっ!」
そう叫ぶと同時に女は立ち上がった。
「はぁ・・・やれやれ、陰摩羅鬼か・・・・今日は厄日だなぁ・・・・」
マスターの顔がひきつったようになっていた。
つづく。





See You Again  by-nagisa

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