"宇治拾遺物語 弐"の記事一覧

宇治拾遺物語【休題閑話】

第七巻の(渚の独り言)後記 コメント さあ、100話目前です。話数的に、ちょうど半分のところに来ていまして、「よう訳したな!」と思うとともに、そろそろ、1話から当ブログを順々に読んで来られた方がいたなら、「よう読んでくれました!」と、読者の方をこそ、感心すべきなのかもしれないなあ、など…

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巻七 (98)式成、満、則員等三人滝口弓芸の事

  これも今は昔、鳥羽院が天皇位にあられた時のこと。 白河院の武者所では、 宮道式成(みやじののりなり)、源満(みなもとのみつる)、則員(のりかず)の三人が、 ことに弓の名人であった。  あるとき、鳥羽院がそのことをお聞きになり、 滝口に、三人とも呼ばれることになった。  そうして、試させ…

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巻七 (97)小野宮大饗の事、西宮殿・富子路大臣大饗の事

  今は昔。 小野の宮のもとで開催された大饗宴で、 九条殿への贈り物にするため用意してあった、艶打ちにされた紅色の着物を、 心ない女房の一人が粗相して、庭の遣り水へ落としてしまった。  しかしすぐに取り上げて、打ち振ってみると、 水はたちまち飛び散って、着物はすぐに乾いた。 濡れた方の袖は、まったく…

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巻七 (96)長谷寺参籠の男、利生に預る事(下)

  その晩は路傍の人家に宿り、明ければ烏とともに起き出して、 青侍がさらに行くほどに、日もだいぶ高くなって、辰の刻つまり朝8時頃。  青侍は、えも言われぬほどすばらしい馬に乗った人と行き会った。 その人は、よほどその馬を愛していたのであろう。 馬に道を歩ませる、というより馬を運動させているような感じであった…

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巻七 (96)長谷寺参籠の男、利生に預る事(中)

  しばらく行くうちに、青侍は、 これから長谷寺へ詣でようという貴婦人の牛車と行き会った。  と、簾を掲げて前を見ていた美しい若君が、「あの男の持っているものは何じゃ? かれに頼み、われにくれよ」 と、馬に乗って同道する侍臣に言った。  それで侍が、青侍に、「その方の手に持つ物、若君がご所望す…

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巻七 (96)長谷寺参籠の男、利生に預る事(上)

  今は昔、父母も、主人も、妻子も無くて、ただ一人きりの青侍がいた。 すべてに行き詰まり、どうしようもなくなって、「観音、助けたまえ」 と長谷寺に参り、仏前に伏して申し上げるには、「今やわしはこんなありさまなので、いずれこの場で飢え死にするしかありません。 だがもし、何かわたくしが頼みに思えることがあると…

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巻七 (95)検非違使忠明の事

  これも今は昔、忠明という検非違使がいた。 その彼が若い頃、清水寺の箸のもとで、 京童(きょうわらべ)どもと、喧嘩をした。  京童たちは、それぞれ刀を抜くや忠明を取り囲み、 殺そうとしたものだから、 忠明も太刀を抜き、御堂の側へ駆け上がったところ、 御堂の東の端にも大勢が立ちはだかっていたから…

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巻七 (94)三條の中納言水飯の事

今は昔、三条中納言という人がいた。 三条右大臣の子息である。  才賢く、異国のこと、この社会のこと、すべてに精通していた。 心映えもかしこく、さらに肝も太くて、忍耐強い性質であった。 雅楽・笙の笛の技を極め、上手に吹くことができたし、 身長も高かったが、大いに太っている人であった。  太りすぎで、…

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巻七 (93)播磨守爲家の侍の事(下)

 ふたたび郡司の屋敷の、同じ部屋へやって来た佐多。 とはいえ、仕事の話など言い出しもせず、 佐多の興味は例の娘のことだけ。  だが、馴染んだ間柄であっても、こんなことはすべきではないだろうに、 佐多は、従者などへするように、 身につけていた、薄汚れ、ほころびた水干の着物を脱ぐと、 部屋を隔てる衝立の上から、…

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巻七 (93)播磨守爲家の侍の事(上)

  今は昔、播磨守為家という者がいて、 その抱え人の中に、取り立てて特長のない侍がいた。  あだ名を「佐多」といい、誰からも正式な名前では呼ばれず、 主人からも朋輩からも、ただ「佐多」と呼ばれていた。  それで、この佐多という男。 人目を引くほどの働きは無いかわりに、あるじに忠実に仕えていたから、…

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巻七 (92)五色の鹿の事(下)

   さて、大王の狩人たちは山へ到着したが、 例の鹿は、知るはずもなく、 洞穴の中で寝ていた。  そこへ、友とするカラスが、大王の軍勢を見つけて大いに驚くや、 大声で鳴きつつ、鹿の耳をくちばしで引っ張った。 目覚めた鹿に、カラスが言うには、「国の大王が、多くの狩人を連れて、この山を取り巻いている…

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巻七 (92)五色の鹿の事(上)

  これも昔。 天竺に、体の色が五色に輝き、真っ白な角を持つ鹿がいた。 山奥に生息していたから、人に知られることはなかった。 山のほとりには大きな川があって、 またその山には烏がいて、その鹿はかれを友として、日々を送っていた。  さてある時、山のふもとの川で男が一人流されて、 今にも溺れ死にしそうであった時…

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宇治拾遺物語【休題閑話後記】

第六巻の(渚の独り言)後記 コメント いよいよ90話に到達。ちまちまとやっていて、ふとこれまでに訳したものを振り返ると、たくさんやったなあ!と、我ながら、感心するような量になりました。 次の第七巻で、折り返し地点。あー、でも、まだ半分か。 第六巻の適当訳後記仏教系の、しかも何という…

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巻六 (91)僧伽多、羅刹国に行く事(下)

 いくばくもせず、皇太子が帝位につかれた。 僧伽多を呼び、ことの次第を問われると、僧伽多は、「そうなると存じていたからこそ、 あのような者はすみやかに追い出されるべしと申し上げていたのです。 この上は、今より帝のご命令を受けて、あの鬼どもを討伐して参ります」 と申し上げた。 「申すままに、何なりと賜るであろ…

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巻六 (91)僧伽多、羅刹国に行く事(中)

 さて二年後。 僧伽多(そうきゃた)の妻であった、あの羅刹の女が、 不意に僧伽多の家へやって来た。  以前見ていたよりも、いっそう麗しく、えも言われぬほど美しくなっており、 しかも僧伽多に語るには、 「あなた様とは前世からの契りがあると存じ、殊に愛おしく思っておりましたところ、 あのように私を捨てて立ち去…

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巻六 (91)僧伽多、羅刹国に行く事(上)

  昔、天竺の国に、僧伽多(そうきゃた)という人がいた。 五百人の商人を乗せて、かねの津という場所を目指していたところ、 急に風が悪くなり、舟は南へ南へと、矢を射るように吹き流されてしまった。  やがて見知らぬ世界へ吹き寄せられ、陸へ近づいたので、 何はともあれ、ありがたいことだと、全員、途惑いつつも舟から…

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巻六 (90)帽子の叟、孔子と問答の事

 今は昔。 唐土の孔子が、林の中の丘のようになったところで、 ひとときを過していた時のこと。  孔子は琴を弾き、弟子たちは書籍を読んでいたが、 そこへ舟に乗っていた、帽子の老人が、舟を葦につなぎ、岸へあがってきた。  杖をつき、琴のしらべが終るまで聞いていたから、 不思議な人だなと、弟子たちが不審…

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巻六 (89)信濃国筑摩湯に観音沐浴の事

  今は昔。 信濃の国に、筑摩(つかま)の湯という、 多くの人が利用する、湯治場があった。  さてあるとき。 湯治場の近くに住む者が、夢うつつに、「明日の昼ごろ、観音様が湯浴みにお越しになる」 とお告げを受けたので、「え、どのようにお越しになるのですか」 と問えば、「年のころ三十ばかりの男性で、黒い口髭…

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巻六 (88)賀茂社より御幣紙、米等を給う事

  今は昔、比叡山に、とある僧侶がいた。 たいそう貧しかったが、あるとき、鞍馬寺へ七日参りをした。「これで、何か夢のお告げがあるだろう」 と思って参詣していたけれど、それらしい夢を見ないから、 さらに七日、参詣したものの、それでも夢は見ない。 そのためさらに七日、また七日と参籠して百日経った夜の夢に、「我は何にも知らぬ。…

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巻六 (87)観音経、蛇に化して人助け給う事(下)

 さて、谷間の鷹匠。 鷹を飼い慣らすことで世を送ってはいたが、 幼い頃から観音経をよく読み、また教典を家に保管していたため、「助けたまえ」 と、ひとえに願いを込めて、 このお経の文句を、夜も昼も、何度も何度も読み続けていた。  そうして、経文のうち、「弘誓深如海」 の辺を読んだころ、 谷の底の方から、何…

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