宇治拾遺物語【休題閑話】
第十五巻の(渚の独り言)後記
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とうとう全15巻の現代語訳を終えて、おめでたいこと限りないのですが、ひとまず今回は、第15巻の、適当訳後記を。。
第十五巻の適当訳後記最後に三つ、唐国の物語を持って来た、宇治拾遺の編者の意図が知りたいところですが、…
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巻十五 (197)盗跖と孔子と問答の事
これも今は昔、もろこしに、柳下恵(りゅうかけい)という人がいた。 世に優れた人物で、人々から重く用いられていた。
この柳下恵の弟に、盗跖(とうせき)という人があった。 とある山の懐深くに済んで、招き集めたさまざまな悪党を傍に置いて、 人の物を…
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巻十五 (196)後の千金の事
今は昔、唐の国に荘子という人がいた。 家たいそう貧しく、とうとうこの日、食べるものが無くなってしまった。
さて、この荘子の隣に、監河侯(かんかこう)という人がいた。 荘子が、仕方ないのでこの人のもとへ、今日の食糧として粟を乞うと、河侯は、「あと五日の…
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巻十五 (195)秦の始皇、天竺より来たる僧禁獄の事
今は昔、秦の始皇帝の時代に、天竺から僧侶が渡来した。 始皇帝は不審に思い、「汝はいかなる者か。どうしてやって来たのだ」 僧侶が答えるには、「これは釈迦牟尼仏の御弟子である。仏法を伝えるため、はるか西天より来たものである」 このように…
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巻十五 (194)仁戒上人、往生の事
これも今は昔、奈良の都に仁戒上人、という人がいた。 興福寺の僧侶で、才学は寺の中で並ぶ者がないほどであった。 さてこの仁戒上人。 ある時、道心が高まり、にわかに寺から出ようとしたが、 別当の興正僧都がたいへん寂しがって、旅に出るのを制止して寺から出…
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巻十五 (193)相応和尚、都卒天にのぼる事・染殿の后、祈りたてまつる事(下)
(つづき)
さて、当の宮様は、寝殿の母屋に伏していられた。 まことに苦しげなお声が、時折、御簾越しに聞こえてくる。
和尚が、かすかにその声を聞きながら声高く加持したから、 なるほどこの声には不動明王も…
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巻十五 (193)相応和尚、都卒天にのぼる事・染殿の后、祈りたてまつる事(上)
今は昔、比叡山無動寺に、相応和尚という人がいた。 彼は比良山の西、葛川の三滝というところにも通って、修行を積んでいた。
ある時、その滝の中で、和尚が不動明王へ頼み込むには、「どうか私を背負って、都卒天の…
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巻十五 (192)伊良縁の世恒、毘沙門御下文の事
今は昔、越前国に、伊良縁の世恒(いらえのよつね)という者がいた。 食べるものさえ無い生活で、 熱心に信仰している毘沙門天に、ひたすら食べ物が欲しいとばかりに、「助けたまえ」 と頼み上げていると、家の者が、「門口に、不思議な恰好をした女が…
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巻十五 (191)極楽寺の僧、仁王経の験を施す事
これも今は昔、太政大臣の堀川兼通という人が、極めて重い病気にかかった。 さまざまな祈禱がなされて、世の僧侶たちで参上しない者はないというほどになり、 お屋敷へ参上し、集っては御祈禱したので、賑やか、騒々しいこと限りなしであった。
と…
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巻十五 (190)土佐判官代通清、人違えして関白殿に会い奉る事
これも今は昔、土佐判官代通清(みちきよ)という者があった。 歌をよく読み、源氏物語、狭衣物語などを慕って、 花の下や月の前など、風雅な場所を歩き回っていた。
さてこういう粋人なので、ある時、後徳大寺左大臣から、「大内の…
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巻十五 (189)門部府生、海賊射かえす事(下)
(つづき)
さて、府生が相撲取りを招くため諸国へ下り、 数えきれないほどの力士を招集し、都へのぼる途中、 一行は、かばね島、というところを通った。
ここは海賊の集るところで、通過しようとしたとき、連れていた相撲取りが、「あ…
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巻十五 (189)門部府生、海賊射かえす事(上)
これも今は昔、門部の府生(かどべのふしょう)という、小役人がいた。
若く、身は貧しかったが、 的当て用の「真巻弓(ままきゆみ)」という弓を好んで、よく射ていた。 府生は夜間にも射るため、屋根の薄い葺き板をはがし、 それを燃…
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巻十五 (188)賀茂祭の帰り、武正・兼行御覧の事
これも今は昔、 賀茂祭の供奉役に、下野武正と、秦兼行が任じられた。
さて、祭の行列が出た帰り、法勝寺殿こと藤原忠通が、 紫野で行列の様子をご見物になっているとのことで、 武正、兼行とも、我が殿様がご覧になる――と知って、 ことさらに身…
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巻十五 (187)頼時が胡人見たる事
今は昔、胡国というのは、唐より遙かに北にあると聞こえているが、「我国の陸奥から、陸続きになっているらしい」 と、九州にいる宗任(むねとう)法師というのが語っていた。
この宗任法師の父は、安倍頼時という蝦夷、奥州の荒くれ者だった。 あるとき、頼時…
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巻十五 (186)清見原天皇、大友皇子と合戦の事(下)
(つづき)
さて大海人皇子は美濃国へ入り、洲股の渡りというところへ着いたが、舟が無い。 ふと見ると、湯桶に布を入れて洗っている女がいるので、「この渡りを、何としてでも渡りたいが」 と、お尋ねになると、女が答えるには、「一昨日のこ…
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巻十五 (186)清見原天皇、大友皇子と合戦の事(上)
今は昔、天智天皇の御子に、大友皇子という人があった。 太政大臣として、政治を行っていたが、心の中では、「今の帝がお亡くなりになった後、次の帝には、わしがなろう」 とお考えになっていた。
その当時、清見原天皇こと天武天皇は、…
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宇治拾遺物語【休題閑話】
第十四巻の(渚の独り言)後記
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無事に14巻の現代語訳も終り、いよいよ、とうとう、ようやく、果ての果てが見えてきました。丸3年かけて、この適当訳も仕上がりそうな感じです。
第十四巻の適当訳後記今回は、異国の話が多いような気がしましたが…
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巻十四 (185)高階俊平の弟入道、算術の事(下)
(つづき)
さてあるとき。 若い女房たちが集まり、庚申の夜の宴をしていたところ、 この出家した呆け男、俊平の弟も、部屋の片隅に、ほうけたまま座っていた。
やがて夜も更けて、次第に眠くなるので、女房の中で、若くて気の強い女が、「…
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巻十四 (185)高階俊平の弟入道、算術の事(中)
(つづき)
このようにして、唐人が親切に教えているうち、 主人に用事ができて都にのぼることになったため、 俊平の弟も、そのお供で上京することになった。
それを聞いた唐人。上京を思いとどまらせようとするが、「どうして。長年お仕えした主…
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巻十四 (185)高階俊平の弟入道、算術の事(上)
これも今は昔、丹後前司の、高階俊平という男がいた。 のちに出家して、丹後入道と呼ばれた人である。
さて、その弟で、これという役職のないものがあった。 この俊平の弟が、主人の供をして、九州まで下ったときのこと、 近ごろ我が国に渡来してき…
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