巻五 (72)以長、物忌の事
これも今は昔。 大膳亮大夫、橘以長(もちなが)という、五位の蔵人がいた。
宇治の左大臣殿から呼ばれた際、「今日、明日は、かたく物忌みをしておりますゆえ」 と返答したところ、「これはいかに。役人として世にある者が、物忌みなどと言っている場合か。必ず参れ」 …
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巻五 (71)伏見修理大夫の許へ殿上人ども行き向う事
これも今は昔。 伏見修理大夫のもとへ、突然、殿上人が20人ほども押し寄せた。 このため屋敷は大騒ぎ。 饗応といっても、肴を用意する暇もないので、 高価な机に、ただ時節の果物を並べただけというありさまだった。
それでも、一同は、…
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巻五 (70)四宮河原地蔵の事
これも今は昔。 山科のとある道ばた、四の宮河原というところに、「袖くらべ」という、商人の多く集まる場所があった。
そこに住む、とある下人が地蔵菩薩をつくったが、 開眼供養まではせず、櫃に入れたまま、 自分の家の奥の間へしまい込んでしまった。 そうして…
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休題閑話 第四巻(渚の独り言)後記
コメント
宇治拾遺物語が4巻まで終りました。
飽きっぽい性分なので、ここまで続いていることに我ながら驚いてますが、これも、毎日、たくさんの訪問者数があるためです。ありがとうございます、ありがとうございます。
さて全15巻のうちの4巻ですが、全198話で考え…
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巻四 (69)慈恵僧正戒壇築かれたる事
これも今は昔、 慈恵僧正は近江の国・浅井郡の人であった。
さて、比叡山に戒壇を築く許しが下りたものの、 人足を揃えることが出来ず、未だ、戒壇を築くことができなかった折のこと。
浅井郡の郡司と、慈恵僧正とは、師匠・檀家の間柄で親しくしていたた…
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巻四 (68)了延に実因湖水の中より法文の事
これも今は昔、了延房阿闍梨が、日吉神社へ参詣した帰り道のこと。 琵琶湖畔、唐崎の辺りを通り過ぎつつ、「有相安楽行 此依観思」 というお経を口にしたところ、波の中から、「散心誦法花 不入禅三昧」 と、続きの経文句を誦す声が聞こえてきた。
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巻四 (67)永超僧都、魚食ふ事
これも今は昔。 奈良の都の永超(えいちょう)僧都は、 魚が無ければ、午前も午後も、いっさい食事をされないような人だった。
さてこの永超僧都。 ある時、朝廷の法会のためしばらく京都へ滞在していたが、 その間、魚を食べることができなかった。 そうして、ヘロヘロになっ…
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巻四 (66)白河院おそはれ給ふ事
これも今は昔、白河上皇が、寝所でお休みになった折、 夢で物の怪に襲われた。「物の怪には、しかるべき武具を枕元へ置くのがよろしいでしょう」 ということで、源義家を召し寄せると、 義家は、黒塗りの檀弓(まゆみ)を一張り献上した。
そうして、その弓を枕元へ立てたところ、…
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巻四 (65)智海法印、癩人法談の事
これも今は昔、 智海法印が、まだ有職の地位にあった頃。
法印が清水寺へ百日参詣し、夜更けになって寺から戻る時、 橋の上に、「唯円教意 逆即是順 自余三教 逆順定故……」 と、経文を唱える声を聞いた。
尊いことだ、いかなる人が唱えているのであろ…
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巻四 (64)式部大輔実重、賀茂の御正体拝み奉る事
これも今は昔。 式部大輔・実重(さねしげ)は、他の人とは比較できないほど頻繁に、 賀茂神社へ参詣していた。 けれど、前世からの巡り合わせが悪く、大きな御利益に預かることはなかった。
さてある日。 実重は、夢で、賀茂の大明神が、「また実重が来…
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巻四 (63)後朱雀院、丈六の仏作り奉り給ふ事
これも今は昔。 後朱雀院が、病にかかられ、重篤になられた際、 このまま地獄へ落ちるのではないか……と、 死後のことをお気になされた。
そんな折、夢に、御堂入道・藤原道長がやって来て、 申し上げるには、「丈六の仏様をつくる者は、子孫に至るまで決して悪道に…
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巻四 (62)篤昌忠恒等の事
これも今は昔。 法性寺殿の御時に、民部大輔の篤昌という者がいた。 さて、蔵人所の下役に義助とかいう者がいて、 ある時、この篤昌に、何かの用務が言いつけられた際、義助自身は、「わしはそのような仕事をすべき者ではござらぬゆえ」 といって出仕しなかった。
このため所司…
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巻四 (61)業遠朝臣、蘇生の事
これも今は昔。
高階業遠が死んだ時、御堂の入道さまが仰るには、「何か言い置くべきことがあったようだ。不憫に思う」 とのことなので、 解脱寺の観修僧正をお呼びになり、 業遠に向って加持祈祷を行ったところ、 死人たちまち蘇生して、用事を伝えた後、 ふたたび目を閉じた…
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巻四 (60)進命婦、清水寺へ参る事
今は昔、進命婦(しんみょうぶ)が、まだ若い頃のこと。
命婦はいつも清水寺へ参詣していたが、 その清水寺の説教僧は、実に清浄な人であった。
八十歳にもなろうというのに、女を知らず、 法華経を八万四千余も読み奉った高僧であったが、 あると…
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巻四 (59)三川の入道、遁世の事(後)
そうして、入道の御前で、生きながら雉子の羽をむしらせた。
雉子が暴れるところを押さえつけ、ただむしりにむしり続ければ、 雉子は目から血の涙を垂らし、さかんに瞬きしながら、 こちらあちらへ救いの目を向けるから、 さすがに耐え難く、中座する者も出る始末だが…
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巻四 (59)三川の入道、遁世の事(前)
三河入道が、まだ俗人だった頃のこと。 三河守に任じられた入道は、もとの妻を追い出し、 若くきれいな思い女を新たな妻として迎え、三河へ引き連れて行った。
だが三河へ着くなり、その新しい妻は長く患いついてしまい、 美しかった容姿も次第に衰え、やがて亡くなって…
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巻四 (58)東北院の菩提講の聖の事
東北院で菩提講を始めた聖は、もと極悪人で、 牢獄へ七度も拘留されたことがあった。
その七度目に捕らえられた際、取り囲んだ検非違使たちが言うには、「これはとんでもない悪人である。 一度や二度であっても、牢へつながれて良いはずも無いのに、 これは七度までも牢屋へ入る…
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巻四 (57)石橋の下の蛇の事(後)
そんな感じで、日はあっという間に暮れて、暗くなった。 暗闇では蛇のありさまを観察できないので、家の主の老婆へ、「このようにお泊めいただくかわりに、麻はございますでしょうか。 紡ぎまして、さしあげますので、火をつけてください」 と言うと、「それはありがたいこと…
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巻四 (57)石橋の下の蛇の事(前)
割と最近のこと。 とある女が、雲林院の菩提講のため、大宮へ参詣する途上、 西院の辺りの石橋へさしかかった。
その水辺を同じように、二十歳過ぎ、三十くらいの女が、裾を上げて歩いていたが、 この女が石橋を踏み、ひっくり返した。 と、そのすぐ後ろ、ひっくり返った石…
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巻四 (56) 妹背島の事
土佐の国、幡多郡(はたのこおり)というところに住む下人があって、 この男、近所ではなく、別の里に田をつくっていた。
さてある年。 この下人が田植えのため、自分の里で苗代をこしらえ、 田植え要員の食事はもとより、 鍋、釜、それから鋤に鍬、唐鋤といった田植え道具を舟に積み込む…
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