巻十一 (134)日蔵上人、吉野山にて鬼にあふ事
昔、吉野山の日蔵上人が、吉野の奥山で修行を続けていた時、 身の丈七尺、2メートルを超えるような大きな鬼に出会った。
全身は紺青色をして髪は火のように赤く、 首は細く胸の骨がことさら飛び出しており、目を怒らせ、 腹は膨らみ、脛は細いという奴…
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巻十一 (133)空入水したる僧の事
これも今は昔。 桂川へ身投げして仏果を得ようとする聖者が、 それに先立ち、一条京極の祇陀林寺で百日懺法行という修行を始めたというので、 これを拝もうと、近所から遠方から、道も通れないほどに女房車などが集った。
その姿は、と見れば、三十歳過ぎの僧侶…
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巻十一 (132)則光盗人をきる事(下)
着替えを取りに、小舎人を殿居所へ行かせて、 やがて着替えた則光が、今まで着ていた衣を見たところ、袴に血がついている。 則光は、これを厳重に隠させると、またしっかりと小舎人にも口止めした。
さらに、太刀に血の付いたところを洗うなどした後、殿居…
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巻十一 (132)則光盗人をきる事(上)
今は昔、駿河前司・橘季通の父親で、陸奥前司・則光という人がいた。 武士というわけではなかったが、人からも一目置かれ、力などもたいそう強かった。 世間の覚えも良好。
さてその則光が若い頃、 まだ衛門府の蔵人をしていた頃のこと。
庁舎から女のもと…
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巻十一 (131)清水寺御帳給る女の事
今は昔。 身よりも無いので、ひたすら清水寺へ参詣している女がいた。
歳月を積み重ねて、お参りを続けたが、露ほども御利益は無く、 そればかりかだんだん頼りない境遇になった挙句、 長年所有していた地所まで失って、居るべき場所も無いまま、さまよい歩くこ…
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巻十一 (130)蔵人得業、猿沢の池の龍の事
これも今は昔、 奈良の興福寺に蔵人得業(とくごう)の、惠印という僧侶がいた。
鼻が大きく赤かったので、「大鼻の蔵人得業」 と呼ばれていたが、そのうちに長たらしいからと、「鼻蔵人」 と言われるようになり、さらに後には、「鼻蔵、はなくら」 と…
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巻十一 (129)白河法皇北面、受領の下りのまねの事
これも今は昔、白河法皇が鳥羽殿にいらした折のこと。
北面の武士たちに、「受領が任地へ赴くときの恰好をさせて、ご覧に入れるべし」 と命令があったので、玄蕃頭・久孝という者を受領役にして衣冠に着物を整え、 他の五位の者どもは前駆、兵衛府の者たちは弓隊…
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巻十一 (128)河内守頼信、平忠恒をせむる事(下)
さて頼信が海を渡って行く一方。 館に籠もる平忠恒は、「舟はすべて取り隠しておいたゆえ、相手は海を迂回して寄せて来るであろう。 海の浅い道があることも知っているのは自分だけだ。すぐに渡って来られるわけがない。 敵が浜を迂回して来る間に、作戦を実行する…
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巻十一 (128)河内守頼信、平忠恒をせむる事(上)
昔、今の河内守、源頼信(よりのぶ)が上野守に任じられていた頃。 関東に、平忠恒という武士がいた。 忠恒は朝廷からの命ぜられたことを、無かったことにするような態度を見せていたため、 これを討伐しなくてはと、頼信が大軍勢を率い、彼の住む方…
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巻十一 (127)晴明、かえる殺す事
この清明がある時、広澤の僧正の宿坊へ出向き、 あれこれ話をしているうち、若い僧侶たちから、「式神をお使いになるということは、即座に人を殺すこともできますか」 と質問された。
清明は、「容易には殺せません。殺すのなら力を入れます」 とはいえ虫などは、少しの力で必ず…
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巻十一 (126)晴明を試みる僧の事
昔、安倍晴明の土御門の屋敷に、白髪頭の老僧がやって来た。 十歳ほどの童子を二人連れている。
清明が、「いかなる御人にござりますか」 と尋ねれば、「播磨の国の者にござる。陰陽術を習いたいと思う。 貴殿が、陰陽師の道にことに優れておいでと聞き、修得しようと参った」 …
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巻十一 (125)保輔、盗人たる事
今は昔。 丹後守・保昌の弟に、兵衛尉として元服、冠を賜った保輔(やすすけ)という者があった。 盗人の長である。
家は姉小路の南、高倉の東にあったといわれ、 家の奥に蔵をつくり、床下を深く、井戸のように掘って、 太刀や鞍、鎧や兜、絹、布といった、さまざまなものを売る者を…
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巻十一 (124)青常の事(下)
殿上人たちは、堀川中将へ向い、「このように起請を破るなど、実にけしからぬこと」「この上は我らが定めた通り、すみやかに酒や果物を取りにやり、償いをするべし」 と集まり、責め立た。
だが堀川中将は抵抗し、「しない」 と償いを拒んだが、執拗に、しつこく責められるので、「では明…
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巻十一 (124)青常の事(上)
今は昔、村上天皇の御時。 古い宮の御子で、左京大夫の人がいた。 左京大夫は、背の高い、細身の背格好で、たいへん優美な服装をしていたが、 中味は、姿、行動とも愚かしいほどで、頑固なことも多々あった。
まず頭は、あぶみ頭といって後頭部の突き出た形だったから、 纓(えい)とい…
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宇治拾遺物語【休題閑話】
第十巻の(渚の独り言)後記
コメント
第十巻終了。果てのない適当訳に思われていましたが、総目次なんかを見ると、あと巻は5つ、果てが見えてきた気がします。
第十巻の適当訳後記今回は、応天門炎上に始まり、何だか、硬派な巻だった気がします。下ネタや馬鹿話が一つも含ま…
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巻十 (123)海賊発心出家の事(下)
この僧侶へ聞いて、「おまえは京都の者か。どこへ行くところだ」 と問えば、「田舎の者にござります。法師になったものの、長く正式な戒律を受けませんので、 どうにか京都へのぼって受戒しようと、向かうところでした」 と言う。
「あんたの頭に憑いていた稚児どもは誰だ。何…
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巻十 (123)海賊発心出家の事(中)
ある限りの物をこちらへ運び入れ、 乗り合わせた連中は、男女問わずみな海へ投げ込んでいると、 若い主人が、こそこそと手を摺り合わせ、 水晶の数珠がちぎれたような涙をはらはらとこぼしながら、「よろずの物はすべてお取り下さい。しかし我が命ばかりはお助け下さい。 京都に…
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巻十 (123)海賊発心出家の事(上)
今は昔、摂津国に、たいへん年老いた入道がいた。 修行をしながら日々過していたが、あるとき人が、「海賊に遭いまして」 という話をしているのを聞き、ふと言い出すには、「わしも若いころは海上にあって、裕福な身の上であった。 着る物、食べる物に飽きるほどで、明け暮れ、海に浮びなが…
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巻十 (122)小槻當平の事
今は昔、主計頭に小槻當平(おづき・まさひら)という人がいて、 その子供に、算博士に任じられている者があった。 名を茂助という。 今の主計頭忠臣の父親で、淡路守大夫史・泰親の祖父に当る人である。
この茂助は、長く生きたなら、たいそう出世するに違いない男だったが、 どう…
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巻十 (121)蔵人頓死のこと
今は昔、円融天皇の御時。 内裏が火災に遭ったため、帝は仮の後院に滞在されていた。
ある日、大勢の殿上人が食卓へひしめき合うようにして、食事をしていたとき、 蔵人の貞高が、ふと食卓に額を当てて眠りこけて、いびきをかいた。 しかも割と長い時間そうしているから、…
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