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ようやく第二巻終了。。。
全15巻のうちの、2巻。まだこれしか掲載できていないわけですが、それでも毎日、たくさんの方がお越しになってまして、ありがたいやら、申し訳ないやら、恥ずかしいやら、妙な気持です。
ネット上に、宇治拾遺物語の全訳を置いているところは無いので、需要があるのだなーと思いつつ、まだこれ…
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昔、延喜の御代のこと。 五条の天神の境内に実の成らない、大きな柿の木があって、 その木の上に、仏様が現れたというので、 京都中の人が出かける騒ぎになった。
馬や牛車で道は混み合い、人も押しくら饅頭せざるを得ないありさまになって、 さて、5-6日経ったある日。 どうもおかしい、とお考えになった右大臣殿が、「まこ…
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昔、成村という相撲取りがいた。 あるとき、相撲節会が開かれるというので、 全国からたくさんの相撲取りが都へ上ってきて、朱雀門で涼んでいた。
そして、彼らが都見物気分で、大学寮の東門を過ぎ、南側へ行こうとしたところ、 東門へ出て涼んでいた大学寮の学士たちが、わらわらと近寄って来るや、「うるさい奴らを黙らせろ。生…
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昔、唐土にとても大きな山があって、 山頂に、巨大な石の卒塔婆が立っていた。
山のふもとには、八十歳にもなる老婆が住んでいて、 日に一度、山の峰にある卒塔婆を見に行っていた。 大きな山で、麓から峰に登るのはまことにきつく、険しい道が延々と続いていたが、 雨が降ろうが雪が降ろうが、風が吹き、雷が鳴って、道が凍てつく日…
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昔、文章博士・大学頭の藤原明衡という人がいた。 若い頃、とある宮仕えの女官を口説いたものの、その屋敷に入るつてが無かったため、 隣の下人の家を借りて、「その家へ女官を呼び出し、そこでともに寝よう」 と思いついた。
それで、隣の家の下人へ聞いてみると、亭主はいなかったが、その妻が、「おやすいご用です」 と、…
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昔、袴垂という、たいそうな盗人の大将軍がいた。
この袴垂が十月ごろ、着るものが乏しくなったので、 誰ぞから頂戴しようと、あちこち窺い歩いていると、 夜中、人がみんな寝静まった後、 ぼんやりした月あかりの下、 笛を吹きながら行く、 狩衣めいた恰好で、たくさんの着物を着込んだ男を見つけた。
「これはすばらし…
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やがて夜明けも近づき、 季通は、いつもの小舎人が迎えに来た気配を察したが、「おい小僧、おまえは何だ」 と、侍たちの気色ばって問い詰める声。
だがこの言い方に、小舎人は異変を察知したようで、「へえ。ご読経に参る小坊主でございます」 と名乗ると、「ちっ。さっさと行け」 という声が聞こえる。
「よしよし、うまく言…
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昔、駿河前司の橘季通という者がいた。
彼は若い頃、とある家の姫様のもとへ何度も忍び入っていたが、 そこの家の者たちが、「六位ごとき青二才の分際で、晩に朝に、この屋敷を出入りするのは忌々しい。 一度あいつを押し籠めにして、痛ぶってやろう」 などと、物騒な相談をまとめていた。
さて、そんなこととは露知らず…
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昔、清明が宮中へ出かけたとき、 きらびやかな従者に露払いさせて、颯爽とやって来る貴族を見かけた。
その貴族は若くして蔵人少将という重要な職にあり、 華やかで、顔立も清らかであったが、 車から降り、宮中へ参ろうとしたところで、上空のカラスが、 ポトリと、穢土を引っかけて行った。
清明は、「何てことだ。将来が…
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こんな感じで、要するに一ヶ月のうち大半は鼻が長く腫れていたから、 ものを食べるときには、弟子の法師に、 1尺×1寸(30センチ×3センチ)ほどの細長い板きれを持って来させ、 向い合わせの恰好で、その板きれで鼻を持ち上げさせて食事をするのだった。 不慣れな人が手荒く鼻を持ち上げるなどすると、腹を立てて食事もしなくな…
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