絵巻物を見ていると、僧に仕える稚児が数多く描かれています。性的対象にもなった稚児ですが、その姿は垂髪にして束ねたものが多く、着物は古くは水干だったそうです。今回紹介するのは、高僧に寵愛された稚児たちのちょっと切ない話。
『古今著聞集』巻第8 好色第11「仁和寺覚性法親王の寵童千手・三河の事」
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タイトルからは一体どんな話か想像がつかない話。なぜ墓の穴に入るのか、そもそも生きている大の男が入れるほどの大きな墓の穴などあるのか。読んでみると、現代ではなかなかあり得ないものの、中世には「そういうことも確かにあっただろう」と思える話であることが分かります。時代を超えて伝わる「説話」を読む楽しさが感じられる作…
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中国製の墨を「唐墨」というのに対し、日本の墨を「和墨」といいます。その「和墨に関する唯一の文献」(植村和堂「墨」、日本大百科全書[ニッポニカ]、JapanKnowledge)とされるのが、『古今著聞集』に収録されている本話です。「松煙」は、松を燃やしてとった煤(すす)のことで、転じて、その煤をにかわで固め…
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教科書では、保元の乱で敗死したことで専ら知られる藤原頼長は「日本第一の大学生、和漢の才にとみて」(『愚管抄』巻第4)と評された当代随一の学者であり、読書家でした。宋の商人から書籍を贈られた頼長は、謝礼の砂金を下賜するだけでなく、必要とする書籍の目録を与え、その入手を依頼しています。頼長の飽くなき知的探究心が垣…
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芥川龍之介の『羅生門』の出典となった『今昔物語集』の作品の現代語訳。平安時代、羅城門の上層には数多くの死人が打ち捨てられていたそうです。その暗闇の中、火をともし、死人の髪をむしり取る老婆。連子窓からその様子をのぞき見た盗人が刀を抜いて走り寄る……。芥川は、「盗人」を「下人」とすることでストーリー性を持…
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桓武天皇の御子である高陽(賀陽)親王は、優れた細工師としても知られていました。御子が、田に立てた人形は「かかし」ではなく、ユーモラスなからくり人形。そのからくり人形を目当てに、京中の人が市をなして集まったことにより、懸案の問題が見事に解決されます。遊び心と知恵に富み、また風流人でもあったという御子の魅力に…
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「人麻呂影供」(ひとまろえいぐ)とは、歌人が集まって「歌の聖=歌聖」として尊ばれた柿本人麻呂の肖像を祀り、和歌を詠ずる儀式のこと。本話はその由来を記しています。元永元年(1118)、藤原顕季が行ったのが初めで、鎌倉時代には、影供歌合(影供のために催す歌合)がしばしば行われました。
『十訓抄』第4「人の上…
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今回の説話は『今昔物語集』の「土佐国の兄妹が知らない島に住む話」。親と生き別れ、無人島に流されてしまった少年少女の兄妹が、島を開拓、土着繁栄していく話です。私は『ロビンソン・クルーソー』などの、いわゆる漂流・無人島漂着譚に興味がありますが、「説話」にもそうした話があるのですね。説話の世界の“豊かさ”を感じ…
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『十訓抄』は、建長4年(1252)成立にした説話集で、10条の徳目を掲げ、それぞれの徳目にふさわしい説話を収めた幼少者用の啓蒙書です。今回は、徳目の「第9 懇望を停むべき事」の中で紹介されている、『方丈記』の著者、鴨長明の出家にまつわる話を紹介します。
『十訓抄』第9「懇望を停むべき事」の7
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『古事談』(源顕兼 編)は、上代以来のわが国の説話460余話を、6編(第1:王道后宮、第2:臣節、第3:僧行、第4:勇士、第5:神社仏寺、第6:亭宅諸道)に分類した、鎌倉前期成立の説話集です。今回は、その中から「蜂飼大臣」として知られた京極大相国こと、藤原宗輔のちょっといい話を紹介。
『古事談』第1「王…
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