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宇治拾遺物語が4巻まで終りました。
飽きっぽい性分なので、ここまで続いていることに我ながら驚いてますが、これも、毎日、たくさんの訪問者数があるためです。ありがとうございます、ありがとうございます。
さて全15巻のうちの4巻ですが、全198話で考えると69話まで済んだので、すでに3分の1は訳し…
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これも今は昔、 慈恵僧正は近江の国・浅井郡の人であった。
さて、比叡山に戒壇を築く許しが下りたものの、 人足を揃えることが出来ず、未だ、戒壇を築くことができなかった折のこと。
浅井郡の郡司と、慈恵僧正とは、師匠・檀家の間柄で親しくしていたため、 ある仏事に、慈恵僧正が招かれた。 そして僧膳に提…
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これも今は昔、了延房阿闍梨が、日吉神社へ参詣した帰り道のこと。 琵琶湖畔、唐崎の辺りを通り過ぎつつ、「有相安楽行 此依観思」 というお経を口にしたところ、波の中から、「散心誦法花 不入禅三昧」 と、続きの経文句を誦す声が聞こえてきた。
不思議の念を覚え、「いかなる人がおわしますのか」 と問う…
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これも今は昔。 奈良の都の永超(えいちょう)僧都は、 魚が無ければ、午前も午後も、いっさい食事をされないような人だった。
さてこの永超僧都。 ある時、朝廷の法会のためしばらく京都へ滞在していたが、 その間、魚を食べることができなかった。 そうして、ヘロヘロになって奈良へ戻る途中、 奈島の丈六堂で弁当を食べ…
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これも今は昔、白河上皇が、寝所でお休みになった折、 夢で物の怪に襲われた。「物の怪には、しかるべき武具を枕元へ置くのがよろしいでしょう」 ということで、源義家を召し寄せると、 義家は、黒塗りの檀弓(まゆみ)を一張り献上した。
そうして、その弓を枕元へ立てたところ、 悪夢をご覧になることはなくなった。
上皇…
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これも今は昔、 智海法印が、まだ有職の地位にあった頃。
法印が清水寺へ百日参詣し、夜更けになって寺から戻る時、 橋の上に、「唯円教意 逆即是順 自余三教 逆順定故……」 と、経文を唱える声を聞いた。
尊いことだ、いかなる人が唱えているのであろうと、 近寄ってみると、それは、醜い白癩人であった。
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これも今は昔。 式部大輔・実重(さねしげ)は、他の人とは比較できないほど頻繁に、 賀茂神社へ参詣していた。 けれど、前世からの巡り合わせが悪く、大きな御利益に預かることはなかった。
さてある日。 実重は、夢で、賀茂の大明神が、「また実重が来おったぞ」 と、嘆かれるお姿を見た。
これを受けて実重は、何と…
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これも今は昔。 後朱雀院が、病にかかられ、重篤になられた際、 このまま地獄へ落ちるのではないか……と、 死後のことをお気になされた。
そんな折、夢に、御堂入道・藤原道長がやって来て、 申し上げるには、「丈六の仏様をつくる者は、子孫に至るまで決して悪道に墜ちることはございません。 私は多くの丈六仏をおつくりしま…
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これも今は昔。 法性寺殿の御時に、民部大輔の篤昌という者がいた。 さて、蔵人所の下役に義助とかいう者がいて、 ある時、この篤昌に、何かの用務が言いつけられた際、義助自身は、「わしはそのような仕事をすべき者ではござらぬゆえ」 といって出仕しなかった。
このため所司や舎人を大勢送って、激しく呼び立てると、 ようや…
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これも今は昔。
高階業遠が死んだ時、御堂の入道さまが仰るには、「何か言い置くべきことがあったようだ。不憫に思う」 とのことなので、 解脱寺の観修僧正をお呼びになり、 業遠に向って加持祈祷を行ったところ、 死人たちまち蘇生して、用事を伝えた後、 ふたたび目を閉じたとのことである。
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今は昔、進命婦(しんみょうぶ)が、まだ若い頃のこと。
命婦はいつも清水寺へ参詣していたが、 その清水寺の説教僧は、実に清浄な人であった。
八十歳にもなろうというのに、女を知らず、 法華経を八万四千余も読み奉った高僧であったが、 あるとき、進命婦を見るや欲情し、たちまちに恋にかかって、 今にも死…
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そうして、入道の御前で、生きながら雉子の羽をむしらせた。
雉子が暴れるところを押さえつけ、ただむしりにむしり続ければ、 雉子は目から血の涙を垂らし、さかんに瞬きしながら、 こちらあちらへ救いの目を向けるから、 さすがに耐え難く、中座する者も出る始末だが、「これぞまさに鳥の鳴き声」 な…
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三河入道が、まだ俗人だった頃のこと。 三河守に任じられた入道は、もとの妻を追い出し、 若くきれいな思い女を新たな妻として迎え、三河へ引き連れて行った。
だが三河へ着くなり、その新しい妻は長く患いついてしまい、 美しかった容姿も次第に衰え、やがて亡くなってしまった。
入道は哀しさの余り、弔うこと…
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東北院で菩提講を始めた聖は、もと極悪人で、 牢獄へ七度も拘留されたことがあった。
その七度目に捕らえられた際、取り囲んだ検非違使たちが言うには、「これはとんでもない悪人である。 一度や二度であっても、牢へつながれて良いはずも無いのに、 これは七度までも牢屋へ入るとは、おそろしくも由々しい奴である。…
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そんな感じで、日はあっという間に暮れて、暗くなった。 暗闇では蛇のありさまを観察できないので、家の主の老婆へ、「このようにお泊めいただくかわりに、麻はございますでしょうか。 紡ぎまして、さしあげますので、火をつけてください」 と言うと、「それはありがたいことを仰せ下さる」 と、火をともして、麻を手…
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割と最近のこと。 とある女が、雲林院の菩提講のため、大宮へ参詣する途上、 西院の辺りの石橋へさしかかった。
その水辺を同じように、二十歳過ぎ、三十くらいの女が、裾を上げて歩いていたが、 この女が石橋を踏み、ひっくり返した。 と、そのすぐ後ろ、ひっくり返った石橋のすぐ下を見れば、 まだら模様の蛇――…
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土佐の国、幡多郡(はたのこおり)というところに住む下人があって、 この男、近所ではなく、別の里に田をつくっていた。
さてある年。 この下人が田植えのため、自分の里で苗代をこしらえ、 田植え要員の食事はもとより、 鍋、釜、それから鋤に鍬、唐鋤といった田植え道具を舟に積み込むと、 11-2歳に…
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今は昔、薬師寺に、とある別当僧都がいた。 寺を統括する別当という地位にあったものの、寺のものを着服することもなく、 ただ極楽に生れ変ることだけを願うような人だった。
さてこの別当。 年老いて病にかかり、 死を目前にした念仏も唱え終り、もはや消え入ろうとした時。
まさに死なんとしていたところで…
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能登国には、鉄の材料にする素鉄(すがね)というものを集め、 能登守に献上する役目の者が、六十名いた。
さて実房という守の時、砂鉄取り六十人の長が、「佐渡国こそ、黄金の花が咲いたような場所なんだろう」 と、人に話しているのを、実房、伝え聞いて、 その者を呼び、褒美の品を与えるなどして詳しく聞くと、「佐渡国には、…
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昔、ある人に物の怪が取り憑いたので、 これを巫女さんに降ろしてみたところ、「我は祟りを為さんとして憑いた物の怪にあらず、通りがかりの狐なり。 子供が塚穴で腹を空かし、このような場所には食い物が散らばっていると思い、 やって来たまでのこと。しとぎ餅を食らうたら、退散するであろう」 と、そんなことを言うので…
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