"宇治拾遺物語 5巻"の記事一覧

宇治拾遺物語【休題閑話】

第五巻の(渚の独り言)後記 コメント さて、第五巻までの現代語訳が終り、何となく、折り返し地点が見えてきた感じです。 もっとも、折り返し地点が見えたところで、先は果てしなく遠いですが。 第五巻の第一巻で堪能した、「宇治拾遺物語らしさ」が戻ったような気がします。下ネタ、阿呆話。けれどそれ以外では、長…

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巻五 (82)山横川賀能地蔵の事

  これも今は昔。 比叡山の横川に、賀能ち院という、破戒無慚な僧侶がいた。  昼夜を問わず、仏に供えられたものを奪って、使い込んでばかりいたが、 それでもある程度上級の、執行(しゅぎょう)の地位にあった。  ある日。 この賀能が、寺の政所へ行く途中、 塔の下をとおりかかったところ、色々なものが捨て置かれている…

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巻五 (81)大二条殿に小式部内侍、歌読みかけ奉る事

    これも今は昔。 大二条殿こと藤原教通は、小式部内侍のことを目にかけていたが、 いつか訪れることが稀になっていた。  そんな折、教通は病にかかり、長く患ってしまったが、 やがて回復して、久しぶりに上東門院のもとを訪れた。 そして帰りしな、控えの間にいた小式部に対して、「わしが死にそうであったと…

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巻五 (80)仲胤僧都、地主権現説法の事

  これも今は昔。 仲胤僧都が、比叡山の僧衆から招かれて、 日吉神社二宮で法華経を誦経する導師をされたことがあった。  説法は、えも言われぬほど良いもので、終りの方になって、「地主権現が申せと仰るには」 と前置きして、「比経難持、若暫持者、我即歓喜、諸仏亦然」 という文句のところで、 ことさらにの「諸仏」と…

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巻五 (79)ある僧人の許にて氷魚盗み食ひたる事

  これも今は昔、とある僧侶が、人様の家を訪問した折のこと。  屋敷の主人が酒などを勧めていると、氷魚の初物が届けられたので、 主人は珍しく思い、これも僧侶へ勧めた。 そうして、主人に何か用事があって、一度内へ入り、ふたたび客の前へ出てみると、 氷魚が不思議なほど減っている。  主人は…

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巻五(78)御室戸僧正事、一乗寺事(下)

   一乗寺の僧正は、大和の大峰山を二度踏破されたことのある高僧だった。 蛇を見る法を、行ったという。 また、龍の駒ほどの名馬を見るなど、おかしなありさまで修行をされた人であった。  僧正の宿坊は、坊の一二町も手前から賑わっていた。 田楽や猿楽などをする輩が集まり、 随身、衛府の役人たちの…

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巻五(78)御室戸僧正事、一乗寺事(上)

   これも今は昔。 一乗寺僧正、御室戸僧正という三井寺の門流に、 二人のやんごとない方がいらっしゃった。  御室戸の僧正は、大宰権帥・藤原隆家の第四子で、 一乗寺の僧正は、その子供の大納言・藤原経輔の第五子であった。  御室戸の僧正を隆明といい、一乗寺の僧正を、増誉といった。 二人とも…

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巻五 (77)実子に非ざる人、実子の由したる事(下)

 さて、若主人は、 常々、自分を「親の子ではない」と陰口をたたいている連中を呼び、 この老侍の口から、本当は親とよく似ているのだと言わせてやろうと、 後見役を呼び出すと、「明後日、当屋敷へ大勢がやって来るというから、 しかるべく準備をして、もてなしに粗相の無いようにせよ」 と言うと、後見役はまた、「む」 と返…

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巻五 (77)実子に非ざる人、実子の由したる事(上)

   これも今は昔。 あるところに、父親と血のつながりがないと噂される若主人がいた。 世間ではその噂を聞くにつけ、親に似ない若主人を馬鹿にしていた。  さて、この若主人の父たる人が亡くなった後、 屋敷に奉公していた侍の一人が、妻とともに京都を出て、田舎へ帰っていたが、 妻が死んでからはどうすること…

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巻五 (76)仮名暦あつらへたる事

   これも今は昔、 ある人のもとに、生半可な女房がいた。  人に紙をもらい、近在の若い僧侶に、「ひらがなの暦をくださいませ」 と言えば、若い僧は、「造作もない」 と言って、書いて渡した。  始めの方はうるわしく書いてあり、 神、仏によし、外出悪し、悪日慎め……と丁寧に記されていたが、 その…

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巻五 (75)同清仲の事

   陪従清仲の事  これも今は昔。 二条大宮は、白河院の姫宮で、鳥羽院の育ての母。 二条の北、堀川の東あたりにお住まいであった。  ある年、大宮がお住まいになる御所の一角が崩れていたので、 大蔵卿・源有賢(ありかた)が、 備後国司に再任用されたお礼として修理することとなり、 この修理が済む…

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巻五 (74)陪従家綱、行綱、互ひに謀りたる事(下)

 さてまたあるとき。 賀茂の臨時祭の余興に、また天皇さまの御前で、 神楽が催されることになった。  行綱が、兄に向って言うには、「人長から呼ばれ、竹台のもとに寄って、さあ騒ぐぞという時に、兄者は、『あれは何をする者ぞ』 と囃してくだされ。そしたら私は、『竹豹(ちくそう)ぞ、竹豹ぞ』 と言いなが…

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巻五 (74)陪従家綱、行綱、互ひに謀りたる事(上)

   これも今は昔。 神楽の脇役、陪従(べいじゅう)といえばこんな奴ばかりだが、 世に例の無いほどのふざけ名人がいた。  堀河院の御時、内侍所で御神楽が催された夜、「今夜は何か珍しいことをしてみせよ」 という仰せがあったので、担当役人は家綱を呼び、この仰せを申しつけた。 家綱、承知すると、さっ…

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巻五 (73)範久阿闍梨、西方を後にせぬ事

  これも今は昔。 範久阿闍梨という僧侶がいて、 比叡山の楞厳院(りょうごんいん)というところに住んでいた。  一途に極楽往生を願い、 行住坐臥、常に、西に背を向けることがなかった。 唾を吐く時、大小便をするときは西を向かず、 その他の時では夕日を背中に負うこともなければ、 比叡山を西坂側から登る時でさえ、体を…

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巻五 (72)以長、物忌の事

    これも今は昔。 大膳亮大夫、橘以長(もちなが)という、五位の蔵人がいた。  宇治の左大臣殿から呼ばれた際、「今日、明日は、かたく物忌みをしておりますゆえ」 と返答したところ、「これはいかに。役人として世にある者が、物忌みなどと言っている場合か。必ず参れ」 と、厳しい言葉なので、物忌みの中断を恐ろしく思い…

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巻五 (71)伏見修理大夫の許へ殿上人ども行き向う事

  これも今は昔。 伏見修理大夫のもとへ、突然、殿上人が20人ほども押し寄せた。 このため屋敷は大騒ぎ。 饗応といっても、肴を用意する暇もないので、 高価な机に、ただ時節の果物を並べただけというありさまだった。  それでも、一同は、盃を重ねるうちに興が乗り、 庭へ繰り出して遊び回っていたが、 ふと馬小屋に、額の…

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巻五 (70)四宮河原地蔵の事

   これも今は昔。 山科のとある道ばた、四の宮河原というところに、「袖くらべ」という、商人の多く集まる場所があった。  そこに住む、とある下人が地蔵菩薩をつくったが、 開眼供養まではせず、櫃に入れたまま、 自分の家の奥の間へしまい込んでしまった。 そうして、日々の営みに紛れてしばらく経つうちに忘れ…

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