第六巻の(渚の独り言)後記
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いよいよ90話に到達。ちまちまとやっていて、ふとこれまでに訳したものを振り返ると、たくさんやったなあ!と、我ながら、感心するような量になりました。
次の第七巻で、折り返し地点。あー、でも、まだ半分か。
第六巻の適当訳後記仏教系の、しかも何というか、たい…
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いくばくもせず、皇太子が帝位につかれた。 僧伽多を呼び、ことの次第を問われると、僧伽多は、「そうなると存じていたからこそ、 あのような者はすみやかに追い出されるべしと申し上げていたのです。 この上は、今より帝のご命令を受けて、あの鬼どもを討伐して参ります」 と申し上げた。
「申すままに、何なりと賜るで…
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さて二年後。 僧伽多(そうきゃた)の妻であった、あの羅刹の女が、 不意に僧伽多の家へやって来た。
以前見ていたよりも、いっそう麗しく、えも言われぬほど美しくなっており、 しかも僧伽多に語るには、
「あなた様とは前世からの契りがあると存じ、殊に愛おしく思っておりましたところ、 あのように私を捨てて立ち去…
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昔、天竺の国に、僧伽多(そうきゃた)という人がいた。 五百人の商人を乗せて、かねの津という場所を目指していたところ、 急に風が悪くなり、舟は南へ南へと、矢を射るように吹き流されてしまった。
やがて見知らぬ世界へ吹き寄せられ、陸へ近づいたので、 何はともあれ、ありがたいことだと、全員、途惑いつつも舟から下りた。…
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今は昔。 唐土の孔子が、林の中の丘のようになったところで、 ひとときを過していた時のこと。
孔子は琴を弾き、弟子たちは書籍を読んでいたが、 そこへ舟に乗っていた、帽子の老人が、舟を葦につなぎ、岸へあがってきた。
杖をつき、琴のしらべが終るまで聞いていたから、 不思議な人だなと、弟子たちが不審がってい…
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今は昔。 信濃の国に、筑摩(つかま)の湯という、 多くの人が利用する、湯治場があった。
さてあるとき。 湯治場の近くに住む者が、夢うつつに、「明日の昼ごろ、観音様が湯浴みにお越しになる」 とお告げを受けたので、「え、どのようにお越しになるのですか」 と問えば、「年のころ三十ばかりの男性で、黒い口髭を生やし…
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今は昔、比叡山に、とある僧侶がいた。 たいそう貧しかったが、あるとき、鞍馬寺へ七日参りをした。「これで、何か夢のお告げがあるだろう」 と思って参詣していたけれど、それらしい夢を見ないから、 さらに七日、参詣したものの、それでも夢は見ない。 そのためさらに七日、また七日と参籠して百日経った夜の夢に、「我は何にも知らぬ。清水寺へ参れ」 …
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さて、谷間の鷹匠。 鷹を飼い慣らすことで世を送ってはいたが、 幼い頃から観音経をよく読み、また教典を家に保管していたため、「助けたまえ」 と、ひとえに願いを込めて、 このお経の文句を、夜も昼も、何度も何度も読み続けていた。
そうして、経文のうち、「弘誓深如海」 の辺を読んだころ、 谷の底…
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今は昔、鷹匠の仕事をして生計を立てている者がいた。 あるとき、飼っていた鷹が飛んでいってしまったので、 これを捕まえようと、飛び去るあとをついて行くうちに、 はるかな山奥の谷間へ来て、 対岸の高木で、鷹が巣作りをしているのを見つけた。
鷹匠は、これはすばらしいものを見つけたぞと嬉しく思い、 その時はひとま…
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今は昔。 とある貴人のもとに生半可な侍、なま侍が仕えていた。 この生侍は、人真似をして、仕事の隙を見つけては清水寺へ詣でていて、「千度詣で」を二度も果たしていた。
さて、この「二千度詣で」からいくばくもしない頃。 なま侍は、主人のもとに同じように勤める侍と、双六博打をした。
大負けして、何かを渡さなければ…
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何て奴だと、憎く思われたのであろう。 帝釈天は、留志長者の姿に化けると、彼の家へやって来て、「山において物惜しみの神を祀ったところ、神がわしの中より離れて、 もはや惜しいものなど無くなった。ゆえに、こうするのだ」 と、蔵という蔵を開けさせると、 妻子をはじめとして従者たちそれから家の外の連中、 回国修行者か…
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今は昔、天竺に、留志(るし)長者という、たいそうな物持ちがいた。 屋敷には数え切れないほどの蔵を持ち、それは裕福であったが、 心が狭く、妻子にも、まして従者などに、物を多く食わせたり、 良い着物を与えたりすることはなかった。 それでいて自分だけはたいへんな、欲しがり屋のけちん坊で、 ものを食うときも、人には見…
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今は昔。 世尊寺の建っている場所は、桃園大納言がお住まいになっていたところで、 大納言が、近衛大将となる宣旨を受けた際、 お祝いの饗応のため屋敷を修理し、大いに祝った場所であった。 だが大納言自身は、その二日後、にわかに亡くなってしまった。
主人の急死に、家来どもはみな立ち去り、 屋敷には…
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これも今は昔、藤原廣貴(ひろたか)という男がいた。 死んだ後、閻魔の庁に呼ばれて、閻魔大王の御前と思しきところに参上したところ、 大王が言うには、「おまえの子供を孕み、産もうとした女が死んだ。 女は地獄に落ち、責苦を受けているが、心にかかることがあると申しておるゆえ、 おまえを呼んだのだ。まず、そのような…
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