第59話~死なないお坊さん

 むかしむかし、十八歳のときから合戦に出て、いくつもの手柄をたてていた武士がいました。 ところが三十三歳になったとき、人が殺しあうむなしさを感じて、とつぜん頭をそってお坊さんになってしまいました。 それからは法然上人(ほうねんしょうにん)の教えを守って、きびしい修行を重ねていました。 出家してから、四十六年が…

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サルがにる

 あるところに、サルにそっくりな顔の殿さまがいました。 ある時、殿さまが家来に尋ねました。「おい、三太夫(さんだゆう)。 わしが歩いていると、見る人、見る人が、わしの事を『サルじゃ、サルじゃ』と言うが、わしの顔は、そんなにサルに似ておるのか?」 すると三太夫は、言葉を選びながら言いました。「それは、とんでもな…

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巻五 (74)陪従家綱、行綱、互ひに謀りたる事(下)

 さてまたあるとき。 賀茂の臨時祭の余興に、また天皇さまの御前で、 神楽が催されることになった。  行綱が、兄に向って言うには、「人長から呼ばれ、竹台のもとに寄って、さあ騒ぐぞという時に、兄者は、『あれは何をする者ぞ』 と囃してくだされ。そしたら私は、『竹豹(ちくそう)ぞ、竹豹ぞ』 と言いなが…

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巻五 (74)陪従家綱、行綱、互ひに謀りたる事(上)

   これも今は昔。 神楽の脇役、陪従(べいじゅう)といえばこんな奴ばかりだが、 世に例の無いほどのふざけ名人がいた。  堀河院の御時、内侍所で御神楽が催された夜、「今夜は何か珍しいことをしてみせよ」 という仰せがあったので、担当役人は家綱を呼び、この仰せを申しつけた。 家綱、承知すると、さっ…

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第10話~鬼女になった、弥三郎の母

 むかしむかし、沢根(さわね)というところに、駄栗毛左京(たくもさきょう)という名の侍がいました。 ある年の夏、左京(さきょう)は所用で河原田(かわはらだ)まで行き、帰りはもう夕暮れ時になっていました。 馬にまたがった左京は、真野湾(まのわん)のかなたに沈んでいく太陽をながめながら、「おおっ、なんと美しいお天…

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第58話~こんな暗い晩

 むかしむかし、旅の商人(しょうにん)が、宿屋を見つけました。 雨のしょぼしょぼふる、暗闇の晩のことです。「一晩、とめてください」 商人がたのむと、「今日は満室なので相部屋になりますが、よろしゅうございますか?」「はい、かまいませんよ」「そうですか。では」 商人がとおされた部屋には、旅のお坊さんがいました…

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気のきく男

 ある殿さまの家来に、大変気のきく男がいました。  殿さまはその男の事を、客が来るたびに自慢します。「あの男の気がつくこと、気がつくこと。 朝起きると、すでに洗面の用意が出来ておる。  そして顔を洗っている間に、茶をくんで来てくれる。  たばこを吸いたいと思えば、目の前に、すーっと、たばこが出てくる。 …

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巻五 (73)範久阿闍梨、西方を後にせぬ事

  これも今は昔。 範久阿闍梨という僧侶がいて、 比叡山の楞厳院(りょうごんいん)というところに住んでいた。  一途に極楽往生を願い、 行住坐臥、常に、西に背を向けることがなかった。 唾を吐く時、大小便をするときは西を向かず、 その他の時では夕日を背中に負うこともなければ、 比叡山を西坂側から登る時でさえ、体を…

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73夜~油赤子(あぶらあかご)

前編~晦73夜~油赤子(あぶらあかご) 油赤子(あぶらあかご)は、江戸時代中期の浮世絵師・鳥山石燕による妖怪画集『今昔画図続百鬼』にある日本の妖怪。赤ん坊の姿で行燈の油を舐め取る。 『今昔画図続百鬼』の解説文には、次のようにある。 近江国 大津の八町に 玉のごとくの火 飛行(ひぎやう)する事あり …

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第57話~ちんちんこばかま

 むかしむかし、美しい娘がいました。 その子は、とても美しい子ではありましたが、大変な不精者(ぶしょうもの)でした。 この娘もやがて年頃になって、ある侍の嫁になりました。 夫がいくさに出かけていった留守のあいだ、若い嫁は毎日、のんびりと暮らしていました。 ところが、ある真夜中に、とつぜん不思議なことがおこったので…

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みこし入道をやっつける方法

 むかし、みこし入道という、大男の化け物がいました。 人が夜道を歩いて行くと、後ろからニューッと首を伸ばして、頭ごしに見越してニタニタと笑うのです。 それだけならよいのですが、みこし入道に見下ろされると、その人の命が短くなると言われています。  さて、ある男が友だちからその話を聞くと、「おれが、みこし入道を…

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『土蜘蛛 ~世にも不気味な化け物』

石にまつわる「土蜘蛛伝説」 京都市上京区にある、北野天満宮。その二の鳥居の西側にある東向観音寺(ひがしむかいかんのんじ)の境内の一角に、柵に囲われた小さな祠があります。 その中には、石灯籠の火袋(火を灯すところ)とされる苔むした石が収められていますが、この石が、世にも不気味な妖怪「土蜘蛛(つちぐも)」の伝説に…

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巻五 (72)以長、物忌の事

    これも今は昔。 大膳亮大夫、橘以長(もちなが)という、五位の蔵人がいた。  宇治の左大臣殿から呼ばれた際、「今日、明日は、かたく物忌みをしておりますゆえ」 と返答したところ、「これはいかに。役人として世にある者が、物忌みなどと言っている場合か。必ず参れ」 と、厳しい言葉なので、物忌みの中断を恐ろしく思い…

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第56~見たな!

 むかしむかし、都でも名のある屋敷に、どこからともなく一人の美しい女がたずねてきました。「どうか、お屋敷で働かせてください」 屋敷には女中(じょちゅう)が大勢いましたが、奥方は女の気品の良さが気に入って、しばらくおいてみることにしました。 すると、言葉使いといい、こまやかな気くばりといい、もうしぶんあ…

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ためしぎり

 ある武士が、新しい刀を買いました。「何とか、切れ味をためしてみたいが」 そこで友人に相談しますと、友人が言いました。「そんな事なら、橋の上のこじきを切ってみれば、よかろうに」「うむ、それは名案(めいあん)。さっそく、今夜にもためしてみよう」 そこで二人は暗くなるのを待って、橋へと出かけました。 やがて橋にさ…

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鈴鹿御前の物語~大嶽丸との戦い~

さて、鈴鹿御前との別れから三年、彼女の予言通り俊宗に宣旨が下されました。 「陸奥の国の霧山ヶ岳に大嶽丸という鬼が現れた。こやつは我々を滅ぼし、日本を魔物の住みかにしようとしている。急ぎこれを討て。」 俊宗は大嶽丸との戦いに備えて葦毛の駿馬を用意していました。この馬に金覆輪の鞍を据えて、腰にソハヤノツルギを…

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巻五 (71)伏見修理大夫の許へ殿上人ども行き向う事

  これも今は昔。 伏見修理大夫のもとへ、突然、殿上人が20人ほども押し寄せた。 このため屋敷は大騒ぎ。 饗応といっても、肴を用意する暇もないので、 高価な机に、ただ時節の果物を並べただけというありさまだった。  それでも、一同は、盃を重ねるうちに興が乗り、 庭へ繰り出して遊び回っていたが、 ふと馬小屋に、額の…

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第55話~あめ屋と子泣きじじい

 むかしむかし、旅のあめ屋が山をこえる途中、道にまよってしまいました。 日はくれてくるし、家はないし、あめ屋はとても心細くなりました。「なにか、おそろしいものが出ないといいが・・・。でも、こういうときほど、なにかが出るんだよな」 あめ屋がこわごわ歩いていくと、どこからともなく子どもの泣き声が聞こえてきました。…

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身投げ

 ある日、両国橋(りょうごくばし)の橋の番人が、番所(ばんしょ→役所のようなもの)に呼び出されました。「聞くところによると、毎晩の様に橋の上から身投げ(→飛び込み自殺)があるそうではないか。なぜ、気をつけぬ」「へい」「『へい』ではない。今晩から、気をつけて見張れよ。分かったな」  さて、その夜。 橋の番人が…

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源頼朝の妻「北条政子の生涯と功績」

「北条政子」(ほうじょうまさこ:別称「平政子」[たいらのまさこ])は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性です。もともとは伊豆の流人であり、その後、鎌倉幕府を創立した「源頼朝」(みなもとのよりとも)と周囲の反対を押し切って結婚。源頼朝の「御台所」(みだいどころ)、つまり正室となった北条政子は、のちの2代将軍「源頼家…

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