戦国武将を支えた女剣士
一度は聞いたことのある有名な戦国武将。その戦国武将と共に、刀剣・日本刀を手に取って戦った女剣士は実在しました。ここでは「女性と刀剣・日本刀」に焦点をあて、有名な女武将「巴御前」や戦国の女城主「井伊直虎」など実在した女剣士、戦国武将を支えた女剣士たちの逸話など···
女性と刀…
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これも今は昔、 智海法印が、まだ有職の地位にあった頃。
法印が清水寺へ百日参詣し、夜更けになって寺から戻る時、 橋の上に、「唯円教意 逆即是順 自余三教 逆順定故……」 と、経文を唱える声を聞いた。
尊いことだ、いかなる人が唱えているのであろうと、 近寄ってみると、それは、醜い白癩人であった。
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むかしむかし、京都の革堂(こうどう)とよばれる寺の近くに、質屋の八左衛門(はちざえもん)という男がすんでいました。 この男は金持ちでしたが、強欲な為にみんなから嫌われていました。 だから子どもが生まれても、子守りのなりてがありません。 そこでやっと、とおい近江(おうみ→滋賀県)の農家から、フミという子をやとった…
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暖かい、春の日の午後です。 お寺の一部屋を借りて勉強をしている書生(しょせい→学問をこころざしている人)が、お寺の小坊主に頼みました。「何でもいいから、本を一冊持って来てくれ」 そこで小坊主が、和尚さんの本だなの中から『書経(しょきょう)』という、中国の政治の事が書かれた本を持って行きました。 すると書生が、そ…
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これも今は昔。 式部大輔・実重(さねしげ)は、他の人とは比較できないほど頻繁に、 賀茂神社へ参詣していた。 けれど、前世からの巡り合わせが悪く、大きな御利益に預かることはなかった。
さてある日。 実重は、夢で、賀茂の大明神が、「また実重が来おったぞ」 と、嘆かれるお姿を見た。
これを受けて実重は、何と…
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京都のビジネス街にある小さな神社
京都の商業地区の中心地である下京区室町。繊維問屋が多く集まるこの界隈は、行き来する人や車の出入りで日中は賑やかなビジネス街ですが、そんな街の一角に赤い鳥居の小さな神社があります。街の雰囲気からすると、そこにあることがそぐわないような、妙に違和感がある神社ですが、その標札に目…
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むかしむかし、ある山のふもとに、お寺がありました。 ある雨のふる晩のこと、このお寺の戸をたたくものがありました。「だれじゃ、いまごろ」 和尚さんがしぶしぶ起き出していくと、そこにはきれいな娘がたっていました。「はて、どんなご用かな?」「はい、この間、こちらでとむらっていただいた人のしかばねをひきとらせてくだ…
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「わすれー草、わすれー草は、いれらんかえー」と、花売りの売り声が聞こえてきました。 わすれ草とはユリ科の多年草で、葉は細長くて、夏に大きなユリに似た橙赤色の花を一日だけ咲かせます。「ほう、わすれ草とは珍しい名だ。おい、どんな草か、わすれ草を見せておくれ」「はい、ただいま」「何だ、葉っぱばかりしげって、つまらぬ草じ…
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二人が夢中で語り合っているうちに夜が明けてきました。
「兵をみな都へ帰してください。こんなに大勢いなくとも田村殿と私がいれば高丸を討つことなどたやすいことです。」
鈴鹿御前がそう言うのであればと、俊宗は兵を都へ帰しました。そして、神通の牛車に乗って高丸のいる島へと飛び立ちました。
そこは陸地…
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これも今は昔。 後朱雀院が、病にかかられ、重篤になられた際、 このまま地獄へ落ちるのではないか……と、 死後のことをお気になされた。
そんな折、夢に、御堂入道・藤原道長がやって来て、 申し上げるには、「丈六の仏様をつくる者は、子孫に至るまで決して悪道に墜ちることはございません。 私は多くの丈六仏をおつくりしま…
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むかしむかし、あるけわしい山のふもとに、家が二十軒ばかりの小さな村がありました。 ある年の正月の夕方のこと、どこから来たのか、吹雪の中をまずしい旅姿の母と娘がこの村を通りかかりました。 歩きつかれた母と娘は一晩泊めてもらおうと、村の家々をたずねましたが、見知らぬ者を泊めてくれるところはありません。 でもやっ…
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ある春の日の事。 ある長屋(ながや)の一行が桜の花が咲きほこる川辺に、花見見物に出かけました。 さて、一通りの見物をすませて小腹の空いた一行は、持って来たさくらもちを食べる事にしました。 その一行の中の一人に食い意地の張った男がおりまして、さくらもちに巻いてあるかわ(→葉っぱ)ごと食べています。 それを見て…
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いまから千年いじょうもむかし。 京の都に酒呑童子(しゅてんどうじ→詳細)という、おそろしい鬼がいました。 大江山(おおえやま)という山にたてこもり、都へあらわれては、さんざん悪いことを重ねた鬼でしたが、この「酒呑童子」をせいぱつしたのが、あの有名な源頼光(みなもとのよりみつ)の家来の、渡辺綱(わたなべのつな)、…
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これも今は昔。 法性寺殿の御時に、民部大輔の篤昌という者がいた。 さて、蔵人所の下役に義助とかいう者がいて、 ある時、この篤昌に、何かの用務が言いつけられた際、義助自身は、「わしはそのような仕事をすべき者ではござらぬゆえ」 といって出仕しなかった。
このため所司や舎人を大勢送って、激しく呼び立てると、 ようや…
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「弓道の起源」
弓を使う2つの競技、弓道とアーチェリー。どちらも矢を放って的を射るという共通点はあるものの、方向性がそれぞれ異なるのはご存知でしたか?実は、弓道は矢を平常心で射ることで精神力を養う武道として、アーチェリーは的を正確に射抜く技術を競うスポーツとして、発展しているのです。こちらでは弓道の起源…
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むかしむかし、京の都の御所の林で、夜になるとヌエというあやしい鳥が、気味の悪い声で鳴いていました。 不吉な鳴き声なので、御所の人たちは源頼政(なみもとのよりまさ)という弓の名手に、ヌエを討ち取る事をたのみました。 頼政は、一一五三年(→仁平(にんぴょう)三年)五月二十日に御所へやってきました。 そして、ヌエがあ…
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「流鏑馬(やぶさめ)」
流鏑馬(やぶさめ)とは、疾走する馬の上から矢を的に射る武術のことです。古来より武家社会が終わるまで、武士の嗜みとして盛んに行なわれてきました。実戦的な武術からはじまり、礼法や神事にまで発展してきた流鏑馬。そんな流鏑馬の意味や成り立ち、現代で行なわれている祭事の様子などについて…
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あるお金持ちが、井戸屋に井戸(いど)を掘らせましたが、なかなか水が出てきません。「まいったな。だが、ここまで掘っては、途中でやめるわけにもいかん」 そこであきらめずに、お金をかけてさらにどんどん掘らせていると、井戸の中の井戸掘りがびっくりするほどの大きな声で叫びました。「大変だ! 早く引き上げてくれ!」「何だ!…
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これも今は昔。
高階業遠が死んだ時、御堂の入道さまが仰るには、「何か言い置くべきことがあったようだ。不憫に思う」 とのことなので、 解脱寺の観修僧正をお呼びになり、 業遠に向って加持祈祷を行ったところ、 死人たちまち蘇生して、用事を伝えた後、 ふたたび目を閉じたとのことである。
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「乗馬の歴史」
古代から馬は人の生活と密接にかかわってきました。世界的な視点から見ても、馬は、狩猟対象であったり、移動手段であったりと、生活に欠かせない存在です。それがいつしか日本へと伝来してきます。日本でも、馬は伝令として活躍をしたり、合戦に参加したりと、重要な位置を占めていました。そんな馬は、いつ誕生を…
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